タカジアスターゼ

高校日本史的重要度
★★

【参考リンク】
アミラーゼ(Wikipedia)

タカジアスターゼ

1894年

【概説】
化学者・高峰譲吉が、日本の伝統的な麹菌(こうじきん)から抽出して特許を取得したデンプン分解酵素。世界的な胃腸薬として製品化され、近代日本におけるバイオテクノロジーの先駆例となった画期的な発明。

伝統技術と近代科学の融合

明治期、日本は西欧の近代科学技術を急速に吸収していたが、タカジアスターゼの誕生は、日本古来の伝統技術である「醸造」と西洋科学が融合した稀有な例であった。開発者の高峰譲吉(たかみねじょきち)は、工部大学校を卒業後、英国留学を経て農商務省に入省。日本の伝統的な日本酒造りに使われる麹菌(アスペルギルス・オリゼ)が持つ強力な糖化作用に着目した。

当時、欧米のウイスキー醸造では麦芽(モルト)が使われていたが、高峰は麹菌を用いることで、より効率的にデンプンを糖化させる技術(高峰式麦酒醸造法)を開発した。この研究の過程で、麹菌から強力なデンプン分解酵素(ジアスターゼ)を分離・抽出することに成功し、これを自身の名を冠して「タカジアスターゼ」と命名した。これは、東洋の微生物利用技術が西洋の近代科学によって科学的に実証・応用された瞬間であった。

世界市場への展開と特許ビジネスの先駆

高峰は1894年に米国でタカジアスターゼの特許を取得し、翌1895年には米国の製薬大手パーク・デービス社から消化酵素剤(胃腸薬)として発売された。これは世界的な大ヒットを記録し、高峰に巨万の富をもたらした。日本国内では、高峰の興した三共商店(後の三共、現・第一三共)から発売され、国民的な家庭常備薬として普及した。夏目漱石の小説『吾輩は猫である』の中で、胃弱の主人公(苦沙弥先生)が服用する薬として登場することからも、当時の社会への浸透ぶりがうかがえる。

タカジアスターゼの成功は、単なる一科学者の快挙にとどまらず、日本の近代産業史においても極めて重要な意味を持つ。当時の日本はまだ欧米技術の模倣段階にあったが、高峰は国際的な特許権の確保によって巨大な市場を開拓した。これは、知的財産権をもとに世界へ進出する近代的な「特許ビジネス」の先駆的事例であり、その資金をもとに高峰はその後もアドレナリンの結晶化に成功するなど、世界の医学・化学界をリードし続けることとなった。

最終更新:
2026年6月16日 @ 07:39

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