ソビエト連邦解体(独立国家共同体・CISの成立)

1991年末、世界初の社会主義国家が消滅し、ロシアなどによる独立国家共同体(CIS)が成立した歴史的出来事を何というか?
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ソビエト連邦解体(独立国家共同体・CISの成立)

1991年

【概説】
1991年(平成3年)12月にミハイル・ゴルバチョフ大統領が辞任し、ソビエト社会主義共和国連邦が消滅した歴史的事件。これに伴い、ロシア連邦など11の旧構成共和国は主権国家の連合体である独立国家共同体(CIS)へと移行した。半世紀近く続いた東西冷戦の完全なる終結を決定づけ、日本を含む国際社会の構造を根底から覆した。

ペレストロイカからソ連崩壊への道程

1980年代後半、超大国であったソビエト連邦は深刻な経済の停滞と硬直化した官僚体制の行き詰まりに直面していた。1985年に共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは、ペレストロイカ(立て直し)とグラスノスチ(情報公開)を掲げて体制の抜本的改革に乗り出した。外交面では新思考外交を展開し、1989年の東欧革命を容認するとともに、同年12月のマルタ会談でアメリカのブッシュ大統領とともに冷戦の終結を宣言した。

しかし、国内の改革は急激なインフレーションや各共和国における民族独立運動の噴出を招き、ソ連社会の混乱はかえって深まった。1991年8月、体制の解体を危惧する共産党保守派がクーデターを起こすも失敗に終わり、これを市民とともに鎮圧したロシア共和国大統領ボリス・エリツィンの権威が急激に高まった。同年12月、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの3共和国がソ連からの離脱と新たな共同体創設を宣言(ベロヴェーシ合意)したことで、ゴルバチョフは求心力を完全に喪失。12月25日に大統領を辞任し、1922年以来69年間続いたソビエト連邦は地上から姿を消したのである。

独立国家共同体(CIS)の成立

ソ連の解体に際し、各共和国を新たな枠組みで結びつけるために構想されたのが独立国家共同体(CIS)である。1991年12月21日のアルマアタ宣言により、先に独立を果たしていたバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)と、当初加盟を見送ったジョージアを除く11の旧ソ連構成共和国が参加して発足した。

CISはかつてのソ連のような中央集権的な連邦国家ではなく、対等な主権国家同士の緩やかな連合体として位置づけられた。経済協力や軍事的な連携を継続することを目的としたものの、実態としては最大の国力と核兵器を引き継いだロシアが旧ソ連圏での影響力を維持するための枠組みという側面も強く、のちに各国の利害対立や親欧米路線の拡大により形骸化が進むこととなる。

日本外交と安全保障環境の劇的変化

ソ連の解体は、平成初期の日本の外交政策や安全保障環境にも多大な影響を及ぼした。日本にとって冷戦下における最大の潜在的脅威であったソ連が消滅したことで、長らく国是とされてきた日米安全保障体制はその「対ソ防波堤」としての目的の再定義を迫られた。これを契機として、日本は湾岸戦争での経験も踏まえ、1992年(平成4年)にPKO協力法を成立させるなど、冷戦後の新しい国際秩序における自衛隊の海外派遣や国際貢献のあり方を模索し始めることとなる。

また、日露関係の最大の懸案である北方領土問題についても、共産主義体制の崩壊を機に解決の機運が一時的に高まった。1991年4月にはゴルバチョフがソ連の最高指導者として初来日し、ソ連崩壊後の1993年(平成5年)にはエリツィン・ロシア大統領との間で領土問題解決の指針となる「東京宣言」が調印された。しかし、ロシア国内の政治的混乱やナショナリズムの台頭などから交渉は難航し、現在に至るまで平和条約の締結には至っていない。

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最終更新:2026年6月20日 @ 14:54

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