警備隊 (けいびたい)
【概説】
サンフランシスコ平和条約発効後の1952年8月、海上警備隊を改組して発足した海上の警備・防衛組織。総理府の外局として設置された保安庁の統轄下に置かれ、現在の海上自衛隊の直接の前身となった。
保安庁の発足と警備隊の誕生
第二次世界大戦後の占領期、日本の防衛組織は東アジアにおける冷戦の激化とGHQの指導のもとで段階的に再建された。1950年の朝鮮戦争勃発を契機に陸上部門として警察予備隊が、また1952年4月には海上保安庁内に海上警備隊が設置された。同月にサンフランシスコ平和条約が発効して日本が主権を回復すると、吉田茂内閣はこれら陸海の防衛力を一元的に管理する組織として、同年8月に保安庁を創設した。この際、警察予備隊は保安隊に、海上警備隊は警備隊へとそれぞれ改組され、保安庁の傘下に組み込まれることとなった。
海上保安庁からの分離と軍isers的性格の強化
前身である海上警備隊は、非軍事的な海上治安機関である海上保安庁の機関として発足した。しかし、保安庁の設置にともなって誕生した警備隊は、海上保安庁から完全に分離され、陸上部門の保安隊とともに「わが国の平和と秩序を維持し、人命及び財産を保護するため特別の必要がある場合において行動する」組織と位置づけられた。これにより、従来の海難救助や密輸取り締まりといった一般警察活動から、より防衛的な防衛・軍事体制へとその性格を明確にシフトさせることとなった。当時のアメリカは冷戦の激化にともない日本への防衛力増強圧力を強めており、警備隊への改組は事実上の日本海軍再建に向けた重要な布石であった。
防衛二法と海上自衛隊への発展
警備隊は、旧大日本帝国海軍の復員軍人や技術者を多く受け入れ、アメリカから貸与された警備船(PF:パトロール・フリゲートなど)を運用して装備の整備を進めた。その後、1954年に日米相互防衛援助協定(MSA協定)が調印されると、日本の防衛義務はさらに拡大した。同年7月1日、防衛庁設置法および自衛隊法(いわゆる防衛二法)が施行されたことで保安庁は防衛庁へと移行し、保安隊は陸上自衛隊に、警備隊は海上自衛隊へとそれぞれ発展的に改組された。警備隊としての存続期間は約2年弱と短かったが、戦後日本の海洋防衛体制が警察的なものから防衛的な自衛力へと移行する過渡期において、極めて重要な役割を果たした。