上原勇作

2個師団増設を内閣に拒否されたため、天皇に直接辞表を提出(帷幄上奏)し、第2次西園寺内閣を総辞職に追い込んだ陸軍大臣は誰か?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
上原勇作(Wikipedia)

上原勇作

1856年〜1933年

【概説】
明治から昭和初期にかけて活躍した陸軍軍人、政治家。第2次西園寺公望内閣の陸軍大臣を務め、陸軍の悲願であった2個師団増設が拒否された際、軍部大臣現役武官制と帷幄上奏権を利用して単独で辞表を提出し、内閣を総辞職に追い込んだ人物である。

二個師団増設問題と陸軍の要求

日露戦争に勝利した日本であったが、戦後の東アジア情勢は緊迫を続けていた。特に1911年に勃発した中国の辛亥革命に対応するため、陸軍は朝鮮半島の防衛強化を名目に、常駐させる2個師団の増設を強く要望した。しかし、当時の日本財政は日露戦争の巨額の戦費負担による公債(借金)返済に苦しんでおり、緊縮財政の断行が至上命令であった。1911年に発足した政友会与党の第2次西園寺公望内閣は、行政改革と財政整理を最優先課題として掲げていたため、陸軍の新規増設要求を拒絶する方針を貫いた。

帷幄上奏権の行使と西園寺内閣の崩壊

1912(大正元)年12月、陸軍大臣であった上原勇作は、閣議において2個師団増設案が正式に否決されたことを受け、単独での辞職を決意した。この際、上原は閣僚としての通常の辞任手続きを踏まず、軍の最高統帥権者である天皇に直接辞表を提出する帷幄上奏(いあくじょうそう)権を行使して大正天皇に直接辞表を提出し、受理された。さらに陸軍は、上原の後任となる陸軍大臣を推薦することを拒否した。当時制定されていた軍部大臣現役武官制(現役の大将・中将のみが陸海軍大臣に就任できる制度)の制約により、西園寺内閣は後任を補充することができず、内閣総辞職へと追い込まれた。

「大正政変」の引き金と歴史的意義

上原の強硬な辞職劇は、軍部が政府の意向を無視し、内閣を崩壊させる絶大な権限(内閣閣僚の任免を軍部がコントロールできる実質的な権能)を保持していることを白日の下に晒した。この軍部の横暴と藩閥政治(特に陸軍の首領である山県有朋)に対する反発から、国民の間で「閥族打破・憲政擁護」をスローガンとする第一次護憲運動が急速に巻き起こることとなった。後継の第3次桂太郎内閣はこの国民的運動を抑えきれずにわずか50日余りで退陣へと追い込まれ、日本は「大正政変」と呼ばれる激動期、そして本格的な政党政治(吉野作造の民本主義などに代表される大正デモクラシー)の時代へと突入していくこととなる。

図説 日本陸軍 歩兵の服装と諸動作

当時の写真や緻密な図解を駆使して、兵士の衣服や銃剣術といった細部を体系的に網羅した資料価値の高い一冊。

明治大正史 世相篇 新装版: 世相篇 (講談社学術文庫 1082)

風俗から娯楽まで多岐にわたる項目を通じ、激動の明治・大正期に生きた人々の息遣いが鮮明に蘇る回顧の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 1840年、幕府が川越藩・長岡藩・庄内藩の3つの大名の領地を玉突きで入れ替えようとしたが、農民の猛反対で中止となった出来事は何か?
Q. 久隅守景の代表作で、農民の家族が夕涼みをする和やかな情景を描いた国宝の屏風画は何か。
Q. 1900年、治安警察法が制定される中で、社会主義研究会を改組して作られたより実践的な社会主義団体は何か?