十一面観音像(法華寺) (じゅういちめんかんのんぞう(ほっけじ)
【概説】
奈良市の法華寺に本尊として安置される、平安時代初期を代表する木造の十一面観音立像。聖武天皇の皇后である光明皇后の姿を模して造られたという「生身(しょうじん)の観音」の伝説を持ち、カヤの一木から彫り出された檀像風の美しい作風を特徴とする。
弘仁・貞観文化を代表する木彫彫刻の傑作
法華寺の十一面観音立像は、平安初期の弘仁・貞観文化を代表する仏像彫刻である。奈良時代の主流であった乾漆造や泥塑に代わり、平安初期に台頭した木画や木彫の技術が遺憾なく発揮されている。本像はカヤの一木造(いちぼくづくり)で制作されており、頭部から台座の蓮華、さらには足元から立ち上る茎までを一材から彫り出すという極めて高度な技法が用いられている。
表面に金箔や彩色をほとんど施さない素地(きじ)仕上げの檀像風(だんぞうふう)で仕上げられており、緻密な木肌の美しさが際立つ。衣の襞(ひだ)の表現には、平安初期彫刻の特徴である、鋭い波と丸い波を交互に繰り返す翻波式衣文(ほんぱしきえもん)が明瞭に刻まれている。また、光背には一葉の大きな蓮の葉(蓮弁光背)が用いられており、これを左手で保持するような独創的なポーズは、他に見られない独自の造形美を示している。
光明皇后「生身の観音」という信仰と中世の復興
法華寺は、聖武天皇が全国に国分寺を建立した際、その総国分尼寺として光明皇后の発願により創建された寺院である。本像には、光明皇后が自らの姿を写してインドの仏師(あるいは問答師)に刻ませたという「生身(しょうじん)の観音」の伝承が残る。この伝説は、皇后が「悲田院」や「施薬院」を設けて貧民や病人を救済し、法華寺の「浴室(からふろ)」で千人の垢を流したという慈善活動の伝承と深く結びついている。
実際の制作年代は、光明皇后が活動した奈良時代(8世紀)ではなく、平安時代初期の9世紀前半と推定されている。それにもかかわらずこの伝説が広く知られるようになった背景には、鎌倉時代に西大寺の叡尊(えいそん)や真言律宗の僧侶たちによって法華寺が再興された際、光明皇后の慈善精神が本尊の信仰と結びつけられ、民衆の救済活動や勧進(寺社再建のための資金集め)に利用された歴史的背景が存在する。