陣定 (じんのさだめ)
10世紀後半~
【概説】
平安時代中期以降、内裏の近衛陣(詰め所)に大臣以下の公卿が集まり、国政の重要事項を審議した合議制の会議。律令制下の公式な太政官会議が形骸化する中で成立し、実質的な最高意思決定の場となった。
律令制の変容と陣定の成立
平安時代中期、律令制に基づく公式な政務や官人会議(朝政など)は次第に儀礼化し、実務的な効率を欠くようになった。これに代わり、天皇の身辺を守る近衛府の陣(主として左近衛陣)に公卿たちが集まり、迅速かつ実質的な審議を行うようになった。これが「陣定」の始まりである。宇多・醍醐天皇の時代(9世紀末~10世紀初頭)からその原型が見られ、10世紀後半の摂関政治の成立期に、朝廷の公式な意思決定機関として完全に定着した。
合議の手続きと摂関政治における意義
陣定の議長は、原則として太政官の最上席の公卿である一上(いちのかみ)が務めた。会議では、外交問題、財政、大規模な社寺の訴訟、改元、官人の叙任など、多岐にわたる国政の課題が議論された。審議の結果は「定状(さだめがき)」と呼ばれる文書にまとめられ、摂政・関白を経由して天皇に奏上され、最終的な裁可(勅許)を得る手順をとった。陣定の存在は、摂関政治が決して摂関家による独裁政治ではなく、公卿層の合議(衆議)を重視した貴族合議制としての性格を強く持っていたことを示している。