藤原兼家

娘の詮子を円融天皇に入内させ、生まれた子(一条天皇)を即位させて外祖父として権力を握った、藤原道長の父は誰か。
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【参考リンク】
藤原兼家(Wikipedia)

藤原兼家 (ふじわらのかねいえ)

929年〜990年

【概説】
平安時代中期の公卿であり、のちに摂関政治の全盛期を築いた藤原道長の父。兄・兼通との激しい権力闘争を経て、寛和の変により一条天皇を即位させ、外祖父として摂政・関白の地位を確立した人物。藤原北家による独裁的権力の基礎を固めた政治家である。

兄・兼通との対立と不遇の時代

藤原兼家は、右大臣・藤原師輔の三男として生まれた。実務能力に優れ、一時は兄の藤原兼通を追い抜く出世を見せたが、これが兄弟間の激しい不和を生むこととなった。円融天皇が即位すると、天皇の母方である藤原北家が主導権を握るが、関白の地位をめぐる争いで兼家は兄の兼通に敗北する。兼通が関白に就任すると兼家は露骨に冷遇され、一時期は政権の中枢から完全に排除される雌伏の時を過ごした。

寛和の変による権力掌握と摂関政治への道

兼通の病死後、兼家は徐々に復権を果たし、自らの娘である詮子を円融天皇の女御とし、懐仁親王(のちの一条天皇)を儲けさせた。986年、兼家は一族の悲願である外戚の地位を得るため、在位中の花山天皇を欺いて出家・退位に追い込むクーデター(寛和の変)を画策・実行した。これにより、わずか7歳の一条天皇を即位させ、自らは天皇の外祖父として摂政、のちに関白・太政大臣に就任して実権を掌握した。この兼家が確立した外戚による摂関政治の強固な体制は、息子の道隆、道兼を経て、最盛期を築く藤原道長へと継承されていくこととなる。

藤原氏―権力中枢の一族 (中公新書)

古代から連綿と続く栄華の裏側で、日本史の表舞台を操り続けた藤原氏の軌跡を紐解く政治的興亡の記録。

庶民たちの平安京 (角川選書)

華やかな貴族社会の陰に隠れた、都に生きる名もなき人々の息遣いと暮らしの風景を活写した生活史の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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