大阪万博
【概説】
1970年、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された、アジア初の国際博覧会(日本万国博覧会)。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、高度経済成長期の頂点に達した日本の国力と未来社会のヴィジョンを国内外に示した歴史的イベントである。
高度経済成長の到達点と「アジア初の万博」
1970(昭和45)年3月14日から9月13日までの183日間にわたり、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された日本万国博覧会(通称:大阪万博、EXPO’70)は、アジアで初めて開催された国際博覧会である。テーマとして「人類の進歩と調和」が掲げられた。
当時の日本は、1950年代半ばから続く高度経済成長の只中にあり、特に1965年から始まった「いざなぎ景気」と呼ばれる未曾有の好景気に沸いていた。1964年の東京オリンピックが戦後復興と国際社会への復帰を象徴する出来事であったとすれば、大阪万博は日本が世界第2位の経済大国へと躍進した経済的・技術的な自信を国内外に誇示する一大国家プロジェクトであった。
会場の熱狂と「月の石」
会場のマスタープランは建築家の丹下健三が中心となって手がけ、テーマ館のシンボルとして芸術家の岡本太郎が制作した「太陽の塔」は、圧倒的な存在感を放ち万博の象徴となった。会期中の総入場者数は約6,421万人に達し、これは2010年の上海万博に抜かれるまで万博史上最多の記録であった。
参加国は77カ国にのぼり、パビリオン(展示館)には連日長蛇の列ができた。中でも最も人気を集めたのがアメリカ館である。前年の1969年にアポロ11号が人類初の月面着陸を達成しており、持ち帰られた「月の石」を一目見ようと、数時間待ちの行列が絶えなかった。また、アメリカ館の向かいには巨大なソ連館がそびえ立ち、宇宙開発競争を繰り広げる東西冷戦の構図が会場の配置にも色濃く反映されていた。
テクノロジーの提示と未来社会の予見
大阪万博は、新しいテクノロジーやライフスタイルを大衆に提示する「未来社会の実験場」でもあった。会場内には「動く歩道」やモノレールが走り、携帯電話の先駆けとなる「ワイヤレステレホン」、電気自動車、コンピュータによる迷子管理システムなど、後の社会で実用化される技術が数多く披露された。
また、文化や生活様式の面でも、缶コーヒーやファミリーレストラン、ファストフードといった欧米発祥の飲食スタイルが本格的に導入・紹介され、その後の日本人の消費生活を大きく変容させる契機となった。
光と影:「進歩と調和」の裏側で
華々しい成功を収めた大阪万博であったが、当時の日本社会は決して明るい側面ばかりではなかった。経済成長の歪みとして公害問題が深刻化しており、水俣病や四日市ぜんそくなどの被害が各地で社会問題化していた。さらに、ベトナム戦争の泥沼化や、1960年代後半から続く激しい学生運動(大学紛争)といった社会的緊張も存在していた。
そのため、一部の知識人や学生からは、万博を「国家による人民の欺瞞」「公害や社会矛盾から目を背けさせる体制側のイベント」と批判する「反博運動」も展開された。このように、大阪万博は「進歩と調和」という輝かしい未来像を描き出した一方で、それに逆行するような現実の社会矛盾を内包した、昭和戦後史における巨大なモニュメントであったと評価できる。