ニクソン=ショック(ドル=ショック)
【概説】
1971年、アメリカ合衆国のニクソン大統領が突如として金とドルの交換停止などを発表したことによって引き起こされた世界的な経済的衝撃。ドルを基軸通貨とする戦後のブレトン=ウッズ体制を崩壊に導き、世界経済および日本経済に劇的な構造転換を迫る歴史的転換点となった。
ブレトン=ウッズ体制の動揺とアメリカの苦境
第二次世界大戦後の世界経済は、金1オンス=35ドルと定め、ドルを唯一の基軸通貨とするブレトン=ウッズ体制(固定相場制)によって支えられていた。各国通貨はドルとの固定相場(日本は1ドル=360円)を維持することで、為替の安定を図り、戦後の自由貿易の拡大と経済復興を謳歌してきた。
しかし、1960年代に入ると、アメリカはベトナム戦争の泥沼化や「偉大な社会」計画による莫大な財政赤字を抱えるようになった。さらに、西ドイツや日本の経済的台頭によってアメリカの国際競争力は相対的に低下し、国際収支は著しく悪化した。その結果、海外に大量のドルが流出し、ドルへの信認が揺らいだ各国が手持ちのドルを金へ交換することを要求したため、アメリカの金準備高は激減の危機に瀕することとなった。
「新経済政策」の電撃発表と世界的混乱
1971年8月15日、アメリカのリチャード=ニクソン大統領は、事前の予告や同盟国への相談を一切行わずに「新経済政策」を発表した。その核心は、金とドルの兌換(交換)を一時停止すること、および10%の輸入課徴金を導入することであった。
国際通貨体制の絶対的な土台であった「金とリンクしたドル」という前提が崩れたことは、世界の金融・為替市場に大パニックを引き起こした。これが経済史における「ニクソン=ショック(ドル=ショック)」である。なお、同年7月のニクソン大統領による電撃的な中国訪問の発表を「第1次ニクソン=ショック(外交ショック)」、本件の経済的措置を「第2次ニクソン=ショック(経済ショック)」と呼んで区別することもある。
スミソニアン体制への移行と変動相場制への道
ドル=ショック直後、ヨーロッパの外国為替市場が閉鎖されるなどの異常事態に見舞われる中、日本は数日間固定相場での市場介入を続けたが、猛烈なドル売り・円買いの圧力に耐えきれず、8月末に変動相場制への一時的な移行を余儀なくされた。
その後、同年12月に主要10カ国蔵相会議がアメリカのワシントン(スミソニアン博物館)で開催され、国際通貨体制の立て直しが図られた。このスミソニアン協定により、ドルは金に対して切り下げられ、日本円は1ドル=308円(16.88%の大幅な円切り上げ)とする新たな固定相場制が再構築された。しかし、一度失われたドルへの信認を回復することはできず、投機的な資金移動を抑えきれなくなった主要国は、1973年春には相次いで完全な変動相場制(フロート制)へと移行した。ここに、四半世紀にわたって戦後世界経済を支えたブレトン=ウッズ体制は名実ともに崩壊したのである。
日本経済への打撃と高度経済成長の終焉
ニクソン=ショックは、戦後日本経済の奇跡的な復興を牽引してきた「1ドル=360円」という絶対的有利な条件を根底から覆すものであった。大幅な円高は輸出産業に致命的な打撃を与えると懸念され、国内では「円高不況」の到来が深刻に叫ばれた。
日本政府および日本銀行は、この不況を回避するために強力な金融緩和と積極的な財政出動(田中角栄内閣による日本列島改造論など)を断行した。しかし、これが市中に過剰な資金を供給することとなり、猛烈なインフレーション(狂乱物価)を招来する結果となった。そこに1973年秋の第1次石油危機(オイル=ショック)が追い打ちをかけ、1974年の日本経済は戦後初のマイナス成長を記録した。こうして、1950年代半ばから約20年にわたって続いた日本の高度経済成長期は完全に終焉を迎え、日本経済は安定成長(低成長)の時代へと大きく舵を切ることとなった。