佐川急便事件
【概説】
1992年に発覚した、大手物流会社「東京佐川急便」から自民党副総裁・金丸信ら有力政治家への巨額のヤミ献金が明らかになった汚職事件。政界と闇社会との癒着が露呈し、後の55年体制崩壊や政界再編へとつながる決定的な転機となった。
事件の発覚と金丸信へのヤミ献金
1992年、東京地方検察庁特別捜査部(東京地検特捜部)による東京佐川急便の巨額の特別背任事件の捜査過程で、政界への不透明な資金流出が浮上した。なかでも、当時の自民党の最高実力者であり経世会(竹下派)の会長であった金丸信副総裁に対し、5億円に上るヤミ献金が渡っていたことが明らかとなった。金丸は資金の受領を認めて副総裁を辞任し、後に政治資金規正法違反で略式起訴されたものの、罰金20万円という極めて軽い処分で決着が図られた。この司法判断に対して世論の怒りが爆発し、抗議行動が相次いだ結果、金丸は衆議院議員辞職に追い込まれることとなった。
闇社会との癒着と「55年体制」の終焉
この事件では、単なる金銭の授受にとどまらず、政権中枢と暴力団・右翼団体との結びつきが暴かれた点が極めて深刻であった。1987年の自民党総裁選において、竹下登に対する右翼団体「日本皇民党」による「ほめ殺し」の街宣活動を制止するため、金丸信らが広域暴力団の幹部に仲介を依頼していた事実が露呈したのである。国家権力の最高中枢が暴力団の力を借りて誕生したという事実は、国民に大きな衝撃を与えた。
自民党に対する激しい批判は、党内の主導権争いと相まって、竹下派の分裂を招いた。金丸失脚後の派閥の主導権を巡る対立から、羽田孜や小沢一郎らが自民党を離党して「新生党」を結成。これが引き金となり、1993年には宮澤喜一内閣に対する不信任決議案が可決され、同年の総選挙で自民党は過半数を割り込んだ。これにより、日本新党の細川護熙を首相とする非自民連立政権が誕生し、1955年から続いていた55年体制が崩壊することとなった。