野田佳彦内閣 (のだよしひこないかく)
【概説】
東日本大震災後の2011年9月に発足し、消費税増税を柱とする「社会保障と税の一体改革」を断行した民主党政権最後の内閣。財政再建を最優先課題に掲げて自民党・公明党との協調路線を選択したものの、党内の深刻な分裂を招き、2012年末の総選挙大敗によって政権交代をもたらす結果となった。
内閣発足の背景と「社会保障と税の一体改革」
2011年8月、東日本大震災および福島第一原子力発電所事故の対応をめぐり混迷を極めた菅直人内閣が退陣した。これを受けて、民主党代表選を制した野田佳彦が第95代内閣総理大臣に就任し、野田内閣が発足した。当時の日本は、未曾有の大震災からの復興に加え、長引くデフレと超円高、そして累積する国家債務という極めて厳しい内憂外患の状況にあった。
財務大臣を経験していた野田首相は、日本の財政健全化を急務とし、持続可能な社会保障制度の構築を掲げて「社会保障と税の一体改革」を最優先課題に設定した。これは、少子高齢化に伴って膨らむ社会保障費の財源を確保するため、当時5%であった消費税率を2014年に8%、2015年に10%へと2段階で引き上げることを目指すものであった。野田首相は「政治生命をかける」と表明し、この増税路線の実現に向けて突き進むこととなった。
三党合意と民主党の分裂
当時、国会は衆議院で与党が多数を握る一方、参議院では野党が多数を占める「ねじれ国会」の状態にあり、政権単独での法案成立は不可能であった。そこで野田内閣は、野党第一党の自由民主党(谷垣禎一総裁)、および公明党との妥協を図った。その結果、2012年6月に歴史的な民自公三党合意が成立し、消費増税関連法案の成立に目途が立った。
しかし、この超党派の妥協は民主党内に深刻な亀裂を生じさせた。2009年の政権交代時に掲げた「マニフェスト(政権公約)」にない消費税増税に対して、党内最大勢力を率いる小沢一郎や元首相の鳩山由紀夫らが強く反発した。衆議院本会議での採決において、小沢らは反対票を投じ、最終的に小沢一派を中心とする多数の国会議員が民主党を離党して新党「国民の生活が第一」を結党した。この分裂により、民主党の政権基盤は著しく弱体化することとなった。
「近いうち解散」と民主党政権の終焉
消費税増税法案の成立と引き換えに、野田首相は自民党の谷垣総裁らに対し、「近いうちに国民に信を問う(衆議院を解散する)」との約束を交わしていた。2012年11月、国家基本政策委員会(党首討論)において、野田首相は自民党の安倍晋三総裁に対し、定数削減などの国会改革を条件に「11月16日に解散する」と電撃的に表明した。この、いわゆる「近いうち解散」の断行により、衆議院は解散された。
同年12月に実施された第46回衆議院議員総選挙において、民主党は政権運営への国民の失望と党分裂の影響から議席を激減(57議席)させる大敗を喫した。一方で、安倍晋三率いる自民党が単独で絶対安定多数を確保する圧勝を収めた。これにより野田内閣は総辞職し、3年3ヶ月に及んだ民主党政権は終焉を迎え、第2次安倍晋三内閣の誕生による自公連立政権への交代(平成政治史の大きな転換点)がもたらされた。