ゾルゲ事件
【概説】
太平洋戦争前夜の1941年(昭和16年)に発覚した、ソ連の国際スパイ組織による一大諜報事件。元来はドイツの新聞記者であったリヒャルト・ゾルゲや、近衛文麿政権のブレーンであった尾崎秀実らが逮捕され、日本の最高国家機密がソ連に漏洩していたことが明らかとなった。
国家中枢へ食い込んだスパイ網
ソ連の軍情報部(GRU)の諜報員であったリヒャルト・ゾルゲは、ドイツの有力紙の特派員という肩書で1933年に来日した。彼は駐日ドイツ大使オットー・プロプスト(のちに大使となる)の絶大な信頼を勝ち得て大使館内部に深く食い込み、同盟国であるドイツの機密情報を入手できる立場を築いた。
一方、ゾルゲの有力な情報源となったのが、ジャーナリストで中国問題の権威であった尾崎秀実(おざきほつみ)である。尾崎は近衛文麿首相の私的諮問機関である「昭和研究会」の中心メンバーであり、のちには満鉄調査部嘱託として政界・軍部の最高機密にアクセスできる立場にあった。尾崎はマルクス主義への共鳴からゾルゲの組織に協力し、日本の国策決定に関する最重要情報をゾルゲに提供し続けた。
第二次世界大戦の命運を決した漏洩情報
ゾルゲ情報グループがソ連に送った情報の中で、歴史的に最も重要とされるのが「日本の南進決定」の報告である。1941年7月の御前会議において、日本がソ連への攻撃(北進)を延期し、仏印(フランス領インドシナ)など東南アジアへの進出(南進)を決定したという極秘情報を、ゾルゲらはソ連側に打電した。
この情報により、東西でドイツと日本による挟み撃ちの危機に直面していたソ連の指導者スターリンは、シベリアや極東に配備していた精鋭部隊を西部の対独戦線(モスクワ防衛戦)へ大挙転調することが可能となった。これが結果としてドイツ軍のモスクワ攻略を阻止し、第二次世界大戦全体の戦局を大きく変える要因となったのである。
事件の発覚と国内体制への影響
1941年10月、特別高等警察(特高)による地道な内偵捜査の末、尾崎やゾルゲらが一斉に逮捕された。この直後、近衛文麿内閣は政権維持が不可能となり総辞職に追い込まれ、東条英機内閣が誕生して日米開戦へと突き進むこととなる。逮捕されたゾルゲと尾崎は、1944年11月7日(ソ連のロシア革命記念日)に巣鴨拘置所で死刑に処された。
この事件は、日本政府や軍部に対して「国内の防諜体制の脆弱さ」という深刻な衝撃を与えた。そのため、事件以降は治安維持法の適用や思想統制、軍機保護法の運用がさらに厳格化され、戦争遂行に向けた治安弾圧体制が極限まで強化される契機となった。