翼賛選挙

1942年4月、東条英機内閣のもとで実施され、政府の推薦候補が議席の約8割を獲得した衆議院議員総選挙を何というか?
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重要度
★★

翼賛選挙 (よくさんせんきょ)

1942年

【概説】
太平洋戦争下の1942年4月に、東条英機内閣のもとで実施された第21回衆議院議員総選挙の通称。大政翼賛会の実質的な下部組織が推薦した候補者が議席の大部分を占め、軍部と政府による戦争遂行のための議会統制が完成した出来事である。

翼賛選挙実施の背景と「推薦制度」

1941年12月に太平洋戦争が勃発すると、東条英機内閣は戦争を完遂するために国内の政治体制を完全に一元化することを企図した。すでに1940年の新体制運動により、既存の政党はすべて解散し、挙国一致組織である大政翼賛会が結成されていた。しかし、衆議院には依然として旧政党の所属議員が個人の立場で議席を維持しており、政府に批判的な勢力も残存していた。

そこで政府は、1942年4月の任期満了に伴う総選挙において、議会を完全に政府の協賛機関(翼賛議会)へと改造することを計画した。選挙を主導するため、元首相の阿部信行を会頭とする翼賛政治体制協議会(翼協)が組織され、一選挙区につき定員と同数の「推薦候補」が決定された。推薦候補には政府や軍部からの全面的な支援と潤沢な選挙資金が与えられる一方、推薦を得られなかった非推薦候補は厳しい立場に立たされることとなった。

非推薦候補への弾圧と選挙戦の展開

選挙戦において、政府や警察は「推薦候補=愛国者・戦争協力者」「非推薦候補=非国民・自由主義者」という図式を作り上げ、世論を誘導した。非推薦として立候補した旧政党幹部や反戦的・批判的な政治家に対しては、治安維持法や臨戦体制下の各種法令を動員した過酷な選挙干渉が行われた。

具体的には、演説会の開催妨害、ポスターの貼付制限、さらには憲兵や特高警察による執拗な監視や嫌がらせが日常化していた。例えば、軍部への批判的姿勢を崩さなかった尾崎行雄は、応援演説における発言が「不敬罪」に問われて起訴されるという弾圧を受けた。このような極限状態の言論統制のもとで、国民は政府の方針への追従を余儀なくされていった。

選挙結果と戦時議会体制の完成

選挙の結果、定数466議席のうち、大政翼賛会(翼協)が推薦した候補が381議席を獲得して圧勝を収めた。非推薦で当選した者は、尾崎行雄や鳩山一郎、芦田均、三木武夫など85名にとどまり、議会における圧倒的な多数派が親政府派で占められることとなった。

選挙後、推薦当選者を中心に非推薦議員の一部も取り込む形で翼賛政治会が結成され、衆議院のほぼ全議員が所属する一国一党に近い議会体制が確立した。これにより帝国議会は、東条内閣の提出する戦時予算や法案を無批判に承認するだけの「翼賛議会」へと完全に形骸化し、日本の民主主義的な議会政治は完全に停止することとなった。なお、この選挙で推薦されて当選した議員の多くは、敗戦後の連合国軍総司令部(GHQ)による占領政策において、戦争協力者として公職追追放の対象となり、戦後の日本政治の再編に大きな影響を与えることとなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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