蒼龍(空母) (そうりゅう)
【概説】
日本海軍が計画段階から純粋な航空母艦として設計・建造した初の中型空母。ワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約の制限下で最大の航空兵装と速力を追求して完成し、日本海軍の機動部隊確立に大きく貢献した。太平洋戦争期には南雲機動部隊の主力として縦横無尽に活躍したが、1942年のミッドウェー海戦にて米軍機の奇襲を受け沈没した。
条約制限下での設計と「蒼龍」の誕生
1930年代、日本海軍はワシントン海軍軍縮条約およびロンドン海軍軍縮条約の制限枠内で最大の航空戦力を確保する模索を続けていた。その中で、他艦種からの改造ではなく、計画当初から純粋な航空母艦(空母)として設計・建造されたのが蒼龍である(1937年竣工)。
蒼龍は、先行して建造された実験的空母「鳳翔」や小型空母「龍驤」での経験、そして戦艦・巡洋艦から改造された大型空母「赤城」「加賀」の運用実績を踏まえ、効率的な二段式の格納庫や、巡洋艦に匹敵する最大34.5ノットの高速力を備えていた。この基本構造は、後に建造された「飛龍」や「翔鶴型」など、日本海軍の主力空母の技術的ひな型(実質的なプロトタイプ)となり、近代空母の発展史において極めて重要な意義を持っている。
真珠湾からミッドウェーへ:機動部隊の主軸としての活躍と最期
太平洋戦争が勃発すると、蒼龍は姉妹艦の飛龍とともに第二航空戦隊を編成し、南雲機動部隊の一翼として最前線に投入された。1941年12月の真珠湾攻撃をはじめ、ウェーク島攻略作戦、オーストラリアのダーウィン空襲、さらにはインド洋で作戦を展開し、英空母「ハーミーズ」を撃沈するなど連戦連勝を重ね、世界最強と謳われた日本の空母機動部隊の黄金期を支えた。
しかし、1942年6月のミッドウェー海戦において、日本海軍の慢心や索敵の不備が重なり、米海軍の空母艦載機(急降下爆撃機)による奇襲を許すこととなった。兵装転換中であった蒼龍の飛行甲板に爆弾3発が直撃し、格納庫内の航空魚雷や爆弾、燃料に次々と誘爆。艦は炎上し、わずか数時間の後に沈没した。同海戦では赤城、加賀、飛龍も同様に喪失しており、この主力空母4隻の喪失は太平洋戦争における日米の攻守の転換点(ターニングポイント)となった。