基本的人権の尊重
【概説】
日本国憲法の三大原則の一つで、人間が生まれながらに持つ権利を「侵すことのできない永久の権利」として保障する原則。国民主権や平和主義とともに戦後日本の社会構造を支える理念であり、戦前の大日本帝国憲法における制限的な権利保障から劇的な転換をもたらした。
大日本帝国憲法における「臣民の権利」とその限界
明治時代に制定された大日本帝国憲法(明治憲法)においても、国民の権利は一定の保障を受けていた。しかし、それは人間が生まれながらにして持つ自然権としての権利ではなく、主権者である天皇から恩恵として与えられた「臣民の権利」として位置づけられていた。さらに最大の問題は、これらの権利が「法律の範囲内において」という留保条件付きであったことである。そのため、国家の都合や治安維持の目的で、法律によって容易に国民の権利を制限することが可能であった。実際、昭和初期以降の軍部台頭期には、治安維持法や国家総動員法などによって思想・言論の自由や基本的生活が激しく弾圧・統制され、国民は多大な犠牲を強いられることとなった。
日本国憲法の制定と基本的人権の確立
1945(昭和20)年の太平洋戦争敗戦とポツダム宣言受諾に伴い、日本は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下で抜本的な民主化政策を進めることとなった。その中核をなしたのが、1946(昭和21)年に公布され、翌年に施行された日本国憲法の制定である。新憲法では、基本的人権は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であり、「侵すことのできない永久の権利」として現在および将来の国民に与えられるものと規定された(第11条・第97条)。これは、国家が存在する以前から人間が当然に持っているとする18世紀西欧の天賦人権論(自然権思想)を明確に採用したものであり、国家権力であってもこれを不当に制限することはできないという立憲主義の確固たる土台を築くものであった。
多様な人権の保障と社会権の導入
日本国憲法が保障する基本的人権は、単に国家からの干渉を排除する自由権(精神の自由、人身の自由、経済活動の自由)や、法の下の平等を定める平等権(第14条)にとどまらない。特筆すべきは、20世紀的な人権保障の理念である社会権を手厚く規定した点にある。第25条では「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」として生存権を明記し、国家に対して積極的な社会的配慮を求める権利を保障した。これは1919年のドイツ・ワイマール憲法の影響を受けたものであり、戦後日本の社会保障制度や労働三法(労働基準法・労働組合法・労働関係調整法)整備の強力な法的根拠となった。
戦後日本社会の変革と歴史的意義
基本的人権の尊重は、国民主権、平和主義と並ぶ日本国憲法の三大原則として、戦後の日本社会のあり方を根本から作り変えた。例えば、第24条による「個人の尊厳と両性の本質的平等」の規定は、戦前までの旧民法における家父長制的な「家制度」を解体し、個人の自立を基盤とする新しい家族法をもたらした。また、思想・良心の自由や表現の自由が絶対的に保障されたことで、多様な言論や文化が花開く大衆社会が形成された。現代においては、環境権やプライバシーの権利など、憲法制定当時には想定されていなかった「新しい人権」の議論も憲法第13条(幸福追求権)を根拠に展開されており、基本的人権の理念は時代に合わせて発展を続けながら、現代日本社会の基盤として機能し続けている。