鉄のカーテン
1946年
【概説】
第二次世界大戦後の1946年、イギリスの元首相チャーチルが演説で用いた、東西ヨーロッパの分断状態を象徴する言葉。冷戦の到来を世界に強く印象づけた象徴的な表現であり、のちに日本を巻き込むアジアの冷戦構造や占領政策の転換にも重大な影響を与えた。
チャーチルの演説と東西冷戦の顕在化
第二次世界大戦において共同でファシズム陣営と戦った連合国であったが、終戦とともにアメリカを中心とする資本主義・自由主義陣営と、ソ連を中心とする社会主義陣営との対立が表面化した。1946年3月、イギリスの前首相ウィンストン・チャーチルは、アメリカ合衆国ミズーリ州のフルトンにおいて演説を行い、「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされている」と警告した。この発言は、ソ連が東ヨーロッパ諸国を勢力圏に収め、強固な排他的障壁を築いている現状を批判したものであり、本格的な冷戦(コールド・ウォー)の開始を世界に宣言する画期となった。
日本占領政策の「転換」への影響
ヨーロッパにおける「鉄のカーテン」の出現に端を発した東西対立は、アジア、ひいては連合国軍(実質的にはアメリカ軍)の占領下にあった日本にも決定的な影響を及ぼした。当初、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は日本の「非軍事化・民主化」を最優先課題としていたが、冷戦の激化や1949年の中華人民共和国の建国、さらに1950年の朝鮮戦争の勃発にともない、アメリカは占領方針を大きく「転換」させた。日本を過度に弱体化させるのではなく、アジアにおける「反共の砦」および「資本主義の工場」として復興させる路線へと舵を切ったのである。これにより、経済再建が最優先され、レッド・パージや警察予備隊(自衛隊の前身)の創設といった、いわゆる逆コースと呼ばれる動きが加速することとなった。