李承晩

1948年に建国された大韓民国において、初代大統領に就任した独立運動家出身の政治家は誰か?
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重要度
★★

【参考リンク】
李承晩(Wikipedia)

李承晩 (いすんまん)

1875年〜1965年

【概説】
大韓民国(韓国)の初代大統領。アメリカの支援を背景に1948年の建国を主導し、朝鮮戦争前後を通じて強硬な反共・反日政策を展開した独裁的政治家。

抗日独立運動から初代大統領就任へ

李承晩は、李氏朝鮮末期に生まれ、早くから近代化運動や抗日独立運動に身を投じた。日本による韓国併合後はアメリカへ亡命し、上海に置かれた大韓民国臨時政府の初代大統領(臨時大統領)に就任するなど、海外における独立運動の指導者として活動した。彼はアメリカの政界に人脈を築き、一貫して外交交渉を通じた独立を模索した。

1945年の日本の敗戦にともない帰国すると、米ソ冷戦の激化を背景に、朝鮮半島南部のみでの単独政府樹立を主張した。これに対し、南北統一政府を望む勢力や左派勢力との激しい対立が生じたが、アメリカの強力な後援のもと、1948年8月15日に大韓民国の樹立を宣言し、その初代大統領に就任した。

強権的な反共体制の構築と失脚

大統領就任後の李承晩は、冷戦下における「反共」を国是とし、国内の左派勢力や政敵を厳しく弾圧した。特に1950年に勃発した朝鮮戦争の前後には、数万人から数十万人規模の共産主義同調者(とみなされた人々)が虐殺された「保導連盟事件」や「済州島四・三事件」などの弾圧を引き起こし、強権的な独裁体制を固めていった。

戦後も憲法改正を強行して大統領の多選制限を撤廃するなど権力への執着を見せたが、1960年の大統領選挙における大規模な不正を契機として、学生や市民による大規模な反政府デモ(四月革命)が発生した。これにより支持を失った李承晩は下野を余儀なくされ、ハワイへ亡命し、同地で病没した。

日韓関係における「李承晩ライン」の影響

日本史、特に戦後の日本外交史において、李承晩の存在は極めて大きい。李承晩政権は強い反日感情を排外主義的なナショナリズムとして政治的に利用し、日本との対決姿勢を崩さなかった。その象徴が、1952年(昭和27年)1月に一方的に宣言された「李承晩ライン」(平和ライン)である。

サンフランシスコ平和条約の発効によって日本が主権を回復する直前、李承晩はこのラインを独自の「海洋主権宣言」として設定し、ライン内に竹島(独島)を取り込んだ。これにより日韓間における領土問題が顕在化した。また、ラインを越えて操業していた多くの日本漁船が韓国側によって拿捕され、抑留された日本人漁船員は過酷な待遇を余儀なくされた。この拿捕問題や竹島問題は、その後の日韓国交正常化交渉における最大の障害となり、李承晩が失脚し、のちに朴正熙政権が誕生して1965年に日韓基本条約が結ばれるまで、両国関係の冷え込みが続く主因となった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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