シュタイン (しゅたいん)
【概説】
オーストリア・ウィーン大学の法学者・社会学者。1882年に憲法調査のため渡欧した伊藤博文に対し、君主権の強いプロイセン流の国家学(行政学・社会学)を講じた人物。大日本帝国憲法の制定過程や、日本の近代国家形成における官僚制のあり方に決定的な影響を与えた。
憲法調査とシュタインへの師事
明治政府は、1881(明治14)年の「明治十四年の政変」を経て国会開設を公約し、本格的な憲法制定に向けて翌1882年に参議・伊藤博文をヨーロッパへ派遣した。伊藤はまずドイツ(プロイセン)のベルリン大学でルドルフ・フォン・グナイストから厳格な法理論を学んだ後、オーストリアのウィーン大学でローレンツ・フォン・シュタインのもとを訪れた。シュタインは法学のみならず社会学や財政学、行政学にも通じた大家であり、伊藤はその博識と実務的な講義に深い感銘を受け、当初の予定を大幅に延長して彼の講義に熱中した。
シュタインが説いた「国家学」の特質
シュタインの講義の特徴は、単なる憲法条文の形式的な法解釈にとどまらず、国家を一つの有機体として捉える実質的な「国家学(行政学)」にあった。彼は、憲法は国家の歴史的・社会的現実に根ざしたものであるべきだと主張した。また、資本主義の発展に伴う階級対立を緩和するため、国家(君主)が「社会政策」を通じて弱者を保護し、中立的な立場から社会のバランスをとる必要性を説いた。この「社会改革を行う君主」という思想は、君主権の強化と社会秩序の安定を同時に目指す明治政府の指導者にとって、極めて説得力のある実践的理論であった。
明治憲法体制および日本近代化への影響
シュタインの指導は、伊藤博文に「憲法の真髄を理解した」と確信させるほどのインパクトを与えた。帰国後、伊藤らが起草した大日本帝国憲法は、君主(天皇)に強力な統治権(天皇大権)を認めるプロイセン型の枠組みを基礎としながらも、行政権を中心とした合理的で近代的な国家体制の構築を目指すものとなった。また、シュタインが重視した「行政の自立性」や「官僚制の整備」は、その後の日本の官僚主導による近代化路線の指針となり、日本の近代国家としての骨格を規定することとなった。