民間放送 (みんかんほうそう)
【概説】
営利目的の民間企業が広告(コマーシャル)収入を主な財源として行う放送事業。戦前の国家統制による放送独占体制から、戦後の民主化政策を経て誕生し、高度経済成長期における大量消費社会と大衆文化の形成を牽引したメディア。
電波の民主化と民放ラジオの誕生
戦前の日本における放送事業は、国家の強い統制のもとで社団法人日本放送協会(NHK)による独占体制が敷かれていた。しかし戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指導による「電波の民主化」が進められ、1950年に電波三法(電波法・放送法・電波監理委員会設置法)が制定された。これにより、公共放送としてのNHKと、商業放送としての民間放送という二本立ての体制(二元体制)が確立された。
1951年9月1日、日本初の民間放送ラジオとして中部日本放送(CBC、名古屋)と新日本放送(NJB、現・毎日放送、大阪)が相次いで本放送を開始した。民間放送は、それまでの国策的な番組構成とは異なり、軽妙な娯楽番組や音楽、そして企業の広告を流すコマーシャルソングなど、戦後の自由な世相を反映した新しい文化を国民に届けた。
テレビ放送の開始と高度経済成長への貢献
1953年2月のNHKテレビ本放送開始に続き、同年8月には日本初の民間テレビ放送局として日本テレビ放送網(NTV)が開局した。初期のテレビ受像機は極めて高価であったため、民間放送局は街頭に「街頭テレビ」を設置し、プロレスの力道山戦やプロ野球中継などを放映して大衆の熱狂を呼んだ。
昭和30年代に入り、高度経済成長が本格化すると、テレビは「三種の神器」の一つとして急速に家庭へ普及していった。特に1959年の皇太子(現・上皇)ご成婚パレードは、テレビ普及の決定的な契機となった。民間放送が流すテレビコマーシャルは、新発売の家電製品や家庭用品などの購買意欲を刺激し、日本社会における大量生産・大量消費社会の実現と、茶の間を中心とする大衆大衆文化の定着に決定的な役割を果たすこととなった。