大量転向
1933年
【概説】
1933年、日本共産党幹部の佐野学や鍋山貞親による転向声明を契機として、獄中の共産党員や同調者が相次いで思想を放棄した現象。日本の社会主義運動に致命的な打撃を与え、言論・思想の戦時統制を決定づけた歴史的事態。
佐野・鍋山声明と「一国社会主義」への転向
1933年(昭和8年)6月、治安維持法違反で検挙され獄中にあった日本共産党の最高幹部、佐野学と鍋山貞親は、「共同被告同志に告ぐる書」と題する声明を発表した。彼らは、コミンテルン(国際共産党)の指導を仰ぐこれまでの路線を拒絶し、天皇制を容認した上での「一国社会主義」の実現を主張した。運動を牽引してきた最高指導者たちの変節は、獄中の党員やシンパ(同調者)たちに極めて深刻な動揺と精神的衝撃を与えた。
大量転向の進展と歴史的影響
この声明の発表を契機として、獄中にいた共産党員や左翼運動家たちが雪崩を打って思想を放棄する大量転向が発生した。司法省当局も、転向者を保護・観察して社会復帰を促す独自のシステム(後の思想犯保護観察法など)を構築し、国家的・組織的に転向を推奨した。この事態によって日本の社会主義・共産主義運動は壊滅的な打撃を受け、多くの知識人や文化人が治安維持法による弾圧を回避するために国家の方針へ順応し、挙国一致の戦争体制へ合流していく一因となった。