赤松克麿

元は日本共産党員で、のちに国家社会主義に転向して日本国家社会党を結成し、右翼労働運動を指導した人物は誰か?
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【参考リンク】
赤松克麿(Wikipedia)

赤松克麿 (あかまつかつまろ)

1894年~1955年

【概説】
大正から昭和初期にかけて活動した社会運動家、政治家。当初は労働運動や右派無産政党の指導者として活躍したが、満州事変を契機に国家社会主義へと急進的に転向し、日本国家社会党を結成した人物である。

初期の活動と無産政党運動での活躍

赤松克麿は東京帝国大学在学中、麻生久らとともに学生運動の先駆けである新人会の結成に参加し、大正デモクラシーの潮流の中で社会主義運動に身を投じた。大学卒業後は日本労働総同盟の常任書記となり、労働運動の組織化に尽力。1926年に我が国初の合法的な無産政党である社会民衆党が結成されると、その結党に参画し、のちに書記長に就任した。この時期の赤松は、治安維持法や共産主義運動と一線を画す「議会主義的社会民主主義」の旗手として、合法的な政治改革を目指していた。

国家社会主義への「転向」と新体制運動への合流

1931年の満州事変の勃発は、赤松の思想に決定的な転機をもたらした。国際連盟による対日圧力が強まるなか、赤松は階級闘争論を破棄し、天皇を中心とした国体と社会主義を融合させる国家社会主義へと急速に傾倒していく。1932年には社会民衆党を脱退し、津久井龍雄らとともに日本国家社会党を結成した。この動きは、日本の左翼・リベラル勢力における「戦前ファシズムへの転向」の先駆的事例となった。その後、赤松は東条英機らの軍部や革新官僚に接近し、近衛文麿が進めた新体制運動に同調して大政翼賛会の結成に関与するなど、戦時体制の構築において思想的・組織的な推進役となった。

昭和維新試論 (朝日選書 475)

二・二六事件の深層に迫り、昭和初期の日本が抱えていた閉塞感と変革への狂気を鋭く射抜く、歴史再考の書。

なぜ社会は変わるのか はじめての社会運動論 (講談社現代新書)

社会が変容するメカニズムを理論と実例から解き明かし、市民が声を上げる意義を問い直すための入門書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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