中立法
【概説】
1930年代の緊迫する国際情勢下において、アメリカ合衆国が制定した、交戦国に対する武器輸出や借款を禁止する法律。日米関係の悪化や日中戦争の長期化において、双方の戦争指導や外交方針に多大な影響を与えた法的障壁。
アメリカの孤立主義と中立法の制定
1930年代、ヨーロッパにおけるファシズム陣営の台頭や、東アジアにおける日本の華北進出などにより、国際的な緊張が急速に高まっていった。この時期のアメリカ国内では、第一次世界大戦への参戦に対する強い反省から、他国の紛争に巻き込まれることを避けるべきだとする孤立主義(モンロー主義)の世論が圧倒的であった。
こうした世論を背景に、アメリカ連邦議会は1935年、交戦国に対する武器や軍需資材の輸出禁止、および軍事資金の融通(借款)の禁止などを義務づける中立法を制定した。この法は当初、アメリカの安全と中立を確保するための時限立法であったが、その後も世界情勢の緊迫化に伴って改定・延長が繰り返され、アメリカの対外政策を強く縛るものとなった。
日中戦争における「宣戦布告」回避への影響
1937年(昭和12年)に盧溝橋事件が発生し、日本と中国(中華民国・国民政府)の間で全面的に衝突する日中戦争が勃発した。しかし、両国は激しい戦闘を行いながらも、公式な宣戦布告を行わなかった。これにはアメリカ中立法の存在が深く関わっていた。
仮にどちらかが宣戦布告を行って「戦争」状態であることを法的に認めると、アメリカ大統領は中立法を発動せざるを得なくなる。当時、軍需資源の大部分をアメリカからの輸入に依存していた日本(特に石油や屑鉄など)にとって、アメリカからの禁輸措置は致命傷となり得た。また、中国側にとっても、アメリカからの物資支援や経済援助の道が閉ざされることは避けたかった。このため、日本側は戦争を国際法上の「戦争」ではなく「事変(支那事変)」と称し、宣戦布告を避けることでアメリカからの戦略物資調達を継続しようとした。アメリカのフランクリン・ローズヴェルト大統領も、中国救済の観点から中立法の適用を見送り、日中間の貿易はしばらくの間継続されることとなった。