公定価格制
【概説】
日中戦争から太平洋戦争期にかけて、日本政府が物資の取引価格を強制的に決定・制限し、経済を統制下に置いた制度。国家総動員体制において、戦時インフレーションの抑制と軍需物資の優先配分を目的に導入された。自由市場の原則を否定し、国家が直接価格を管理する戦時統制経済の代表的な政策である。
導入の背景:日中戦争の長期化とインフレの危機
1937(昭和12)年に始まった日中戦争が長期化・泥沼化するなかで、近衛文麿内閣は1938年に国家総動員法を制定し、日本経済を総力戦体制へと移行させた。軍事支出の急増は市場への通貨供給量を増やし、一方で軍需生産の優先によって民需品(消費物資)が極端に不足したため、急激なインフレーション(戦時インフレ)が発生する危険性が高まった。
物価の高騰を放置すれば、軍事予算の膨張だけでなく国民生活の破綻を招くため、政府は物資の自由な取引を制限し、国家の命令によって価格を固定する統制政策の導入へと踏み切ることとなった。
「九・一八停止令」と価格等統制令
公定価格制の本格的な起点となったのが、1939(昭和14)年10月に発令された価格等統制令である。これは、同年9月18日時点の価格や賃金を基準とし、それ以上の引き上げを原則として禁止する画期的な措置であり、通称「九・一八停止令」と呼ばれた。
この法令に基づき、主要な生活必需品(米、木炭、衣料など)や産業用の重要資材(鉄鋼、石炭など)に対して、政府が強制的に定めた「公定価格」が設定された。公定価格を超える価格での取引は不法行為(闇取引)として警察の厳しい取り締まり(経済警察)の対象となった。
公定価格制の影響:闇取引の横行と配給制への移行
公定価格制は、名目上の物価を抑えることには成功したものの、経済の実態から乖離した価格設定は生産意欲の低下や物資の売り惜しみ・隠匿を招いた。その結果、正規のルートで商品が流通しなくなる深刻な物資不足が発生した。これにより、公定価格を無視して隠密に取引される闇取引が横行し、人々は高い「闇価格」で物資を調達せざるを得なくなった。
政府は公定価格制を維持するため、物資の流通自体も国家が管理する配給制や切符制を順次導入し、国民の衣食住にわたる経済的自由は戦後しばらくの間まで完全に制限されることとなった。