転向文学 (てんこうぶんがく)
【概説】
昭和初期の日本において、国家権力の弾圧や思想的挫折によって社会主義・共産主義運動(左翼運動)から離脱・転向した作家たちが、その過程における精神的苦悩や自己嫌悪、良心の葛藤を描いた文学作品の総称。集団的な階級闘争から個の領域へと退却せざるを得なかった知識人の精神史を色濃く反映している。
プロレタリア文学の壊滅と「転向」の強要
1920年代後半、大正デモクラシーの思潮やロシア革命の影響を受けて、労働者階級の闘争や社会変革を呼びかけるプロレタリア文学が隆盛を極めた。しかし、1930年代に入ると、満州事変の勃発に伴う軍国主義の台頭や、治安維持法の厳格化によって国家権力による左翼運動への弾圧が苛烈を極めることとなる。1933年(昭和8年)には、日本共産党幹部であった佐野学と鍋山貞親が獄中から「共同被告に告ぐる書」を発表し、天皇制を容認する立場への転向を表明した。この「佐野・鍋山転向声明」は左翼運動陣営に決定的な打撃を与え、多くの知識人や作家たちが芋づる式に「転向」を余儀なくされる契機となった。
「私小説」的手法への回帰と自己告白
政治的信念を奪われ、社会変革という客観的目標を喪失したプロレタリア作家たちは、自己の「裏切り」に対する道徳的罪悪感や挫折感という、極めて内省的なテーマに向き合うこととなった。この精神的苦闘を表現する手段として選ばれたのが、日本近代文学の底流にあった私小説的な手法である。代表的な作品として、村山知義の『白夜』や、運動への未練と家族の関係を静かに見つめ直した中野重治の『村の家』、転向後の生を模索した島木健作の『生活の探求』などが挙げられる。彼らは、客観的な社会描写から、自己の内面世界や家庭生活といったミクロな空間へと関心を収斂させていった。
転向文学の歴史的帰結と「日本回帰」
転向文学は、国家の弾圧下における知識人の「敗北の記録」であると同時に、昭和戦前期の知識人層がたどった思想的軌跡を浮き彫りにしている。マルクス主義という西洋由来の普遍的理論を失った作家たちの一部は、次第に「日本的なもの」への沈潜や、共同体への回帰を希求するようになった。この精神的な「日本回帰」は、やがて日中戦争から太平洋戦争へと至る戦時体制下において、戦争協力や国策文学への加担という新たな「転向」へとつながっていくことになる。そのため、転向文学は単なる一過性の文学ジャンルではなく、近代日本の知識人が国家権力やナショナリズムとどのように妥協し、あるいは対峙したかを示す重要な思想史的史料として評価されている。