成金
【概説】
第一次世界大戦に伴う未曾有の好景気(大戦景気)の波に乗り、短期間で巨万の富を築き上げた新興の富裕層。将棋の歩兵が敵陣に入って金将となることに準えてこう呼ばれ、特に海運・造船、鉄鋼、貿易などの分野で多数出現した。大正期の日本経済の急成長を象徴する存在であった一方で、彼らの奢侈な生活は物価高騰に苦しむ大衆との間に深刻な経済格差を浮き彫りにし、米騒動などの社会不安を引き起こす要因ともなった。
大戦景気と「成金」の誕生
1914年(大正3年)に第一次世界大戦が勃発すると、主戦場となったヨーロッパ列強は軍需生産に追われ、アジア市場から一時的に後退した。その間隙を縫って、日本には同盟国からの軍需品の注文や、アジア・アフリカ市場からの輸出要求が殺到した。これにより日本経済は劇的な好景気である大戦景気を迎え、長年の貿易赤字から一転して巨額の黒字を計上し、債務国から債権国へと飛躍的な転換を遂げた。
この未曾有の経済ブームの中で、投機や急激な需要増を背景に、わずか数年で莫大な利益を上げる人々が次々と出現した。彼らは旧来の財閥や名家とは異なり、一代で地位と富を築き上げた新興階層であり、その急成長ぶりから将棋の駒に例えられ「成金」と称された。
代表的な成金とその実態
成金の中で最も代表的かつスケールが大きかったのが、海運業や造船業で財を成した「船成金」である。大戦によって世界的に深刻な船舶不足が生じ、船舶の運賃(運賃相場)や船価が異常な暴騰を見せた。内田信也や山下亀三郎、勝本信之助らに代表される船成金たちは、ボロ船さえも高値で取引される狂乱相場の中で巨万の富を掴み取った。
これ以外にも、大戦による鉄鋼需要の急増と価格高騰に乗じた「鉄成金」や、生糸や綿糸布の輸出激増を背景とした「糸成金」、さらには「鉱山成金」や「株成金」など、あらゆる産業分野で成金が続出した。彼らの多くは事業の多角化を進めたが、その経営基盤は好景気に依存した投機的な性格が強いものであった。
「成金趣味」と大衆のまなざし
急激に巨大な富を手にした成金たちは、その資金力を背景に豪邸の建設、高級外車の乗り回し、別荘の購入、料亭での派手な豪遊など、極めて奢侈(しゃし)な生活を送った。こうした彼らの生活様式や誇示的な消費行動は「成金趣味」と呼ばれた。
当時の成金の姿を象徴するものとして、漫画家の和田邦坊が描いた風刺画『成金栄華時代』が広く知られている。薄暗い玄関で靴を探す女中に向かって、成金が百円札(現在の数百万円に相当する価値)に火をつけて「どうだ明くなったろう」と言い放つこの絵は、金銭感覚が麻痺した成金の傲慢さと、それに対する大衆の皮肉や冷ややかなまなざしを見事に表現している。
経済格差の拡大と成金時代の終焉
成金たちが我が世の春を謳歌する一方で、大戦景気は国内に深刻なインフレーション(物価高騰)をもたらした。賃金の上昇が物価の上昇に追いつかず、都市部の労働者や農村の貧困層の生活は困窮を極めた。特に主食である米価の異常な暴騰は民衆の怒りに火をつけ、1918年(大正7年)には富山県の漁村から始まった米騒動が全国規模の暴動へと発展した。
成金の存在は、単なる経済的な成功者という枠を超え、大正デモクラシー期における「持てる者」と「持たざる者」の深刻な社会的分断を象徴するものであった。労働運動や社会主義運動が激化する中、成金に対する社会的批判は強まっていった。
やがて1918年に第一次世界大戦が終結すると、ヨーロッパ列強の生産力が回復し、日本の輸出は急減した。反動による不況の波が押し寄せ、1920年(大正9年)には株式市場や商品市場が暴落する戦後恐慌が発生。投機的な経営を行っていた多くの成金たちは多額の負債を抱えて没落し、日本の経済・社会を熱狂させた成金ブームは、わずか数年で急速な終焉を迎えたのである。