債権国

高校日本史的重要度
★★

債権国

1919年

【概説】
第一次世界大戦期の大戦景気を背景に、日本が従来の「債務国」から「債権国」へと劇的な転換を遂げた経済的状況。日露戦争以来の巨額の対外債務を抱えていた日本が、未曾有の輸出超過によって多額の外貨を蓄積し、国際金融市場において資金を貸し付ける側に回った現象を指す。

日露戦争後の債務国からの脱却

明治後期の日本は、日露戦争の戦費調達のために多額の外債を発行したことから、慢性的な国際収支の赤字と外貨不足に苦しんでいた。1914年の大戦前夜には、対外債務が約19億円に達し、国家財政は破綻寸前の危機的状況にあった。しかし、同年に勃発した第一次世界大戦が日本の経済状況を180度転換させる契機となった。

ヨーロッパ諸国が戦場となったことで、アジアやアフリカ市場からヨーロッパ製品が姿を消し、代わりに日本の綿織物や雑貨などの輸出が急増した。さらに、連合国からの軍需品需要や、世界的な船腹不足に伴う造船業・海運業の飛躍的な発展(船成金の出現)により、日本の貿易・貿易外収支は空前の黒字を記録することとなった。

外貨蓄積と「債権国」への躍進

大戦開始前の1914年には約3億4000万円であった日本の正貨準備高(保有する金および外貨)は、大戦終結後の1920年には約21億8000万円へと急増した。この莫大な資金力をもとに、日本はイギリスやフランス、ロシアなどの連合国に対して公債の引き受けや資金融資を行い、実質的に1919年に債務国から債権国へと転換を果たした。

この経済的地位の向上は、日本がアジアにおける帝国主義的進出を加速させる財政的基盤となった。特に中国(中華民国)の段祺瑞政権に対して行われた西原借款などに代表されるように、政治的・経済的影響力を海外へ拡大するための大きな原動力となったのである。

最終更新:
2026年6月16日 @ 07:41

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