小選挙区制

1919年の選挙法改正において、原内閣が第1党の立憲政友会に有利になるよう大選挙区制から改めた選挙制度は何か?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
小選挙区制(Wikipedia)

小選挙区制 (しょうせんきょくせい)

1919年

【概説】
一つの選挙区から原則として1人の議員を選出する選挙制度。大正デモクラシー期の1919年、原敬内閣が衆議院議員選挙法を改正した際に、与党・立憲政友会に有利な選挙地盤を構築することを目的として導入した。納税資格の緩和(直接国税3円以上)と同時に実施されたが、政党による地方への利益誘導を激化させ、のちの普通選挙法制定時に廃止された。

原敬内閣による制度改革と導入の狙い

1918年に成立した原敬内閣は、日本で最初の本格的な「政党内閣」であった。当時、社会的には普選運動(普通選挙運動)が高まりを見せていたが、原敬は急激な有権者の拡大が社会秩序の混乱を招くとして慎重な姿勢をとった。そこで原内閣は、段階的な妥協策として1919年に衆議院議員選挙法を改正し、選挙資格を「直接国税10円以上」から「直接国税3円以上」へと緩和した。

この選挙法改正とセットで導入されたのが小選挙区制(一部で2人区も存在したため、正確には小選挙区主体制)である。それまでの中選挙区制(大選挙区単記制)を改め、選挙区を細分化して1区から1人を選出するシステムとした。この最大の狙いは、全国の地方農村部に強固なネットワークを持つ与党・立憲政友会の絶対的安定多数を確保することにあった。

政友会への利益誘導と大正期の政治的影響

小選挙区制は、候補者個人の知名度や地元への影響力が勝敗を大きく左右する。立憲政友会は、地方の地主や有力者(名望家)を取り込むことで地方票を独占しやすくなった。さらに原敬内閣は、「積極政策」として地方への鉄道敷設、道路整備、学校の誘致などを積極的に推進した。これらは「我田引鉄(がでんいんてつ)」などと揶揄され、小選挙区制と結びつくことで、地方有権者に対する強力な利益誘導政治を機能させることとなった。

この戦略は的中し、法改正後初の総選挙となった1920(大正9)年の第14回衆議院議員総選挙において、立憲政友会は全464議席のうち278議席を獲得するという圧倒的な大勝利を収めた。これにより、原内閣の権力基盤は極めて強固なものとなったのである。

小選挙区制の弊害と中選挙区制への回帰

しかし、小選挙区制の導入は多くの弊害も生み出した。選挙区が狭いため、候補者間の競争が極端に個人本位となり、買収や選挙干渉などの選挙違反が横行した。また、二大政党間での過度な政争を招き、死票(落選者に投じられた票)が多くなって少数派の意見が国会に反映されにくくなるという問題も浮き彫りとなった。

その後、1924年に成立した第一次護憲運動の流れを汲む加藤高明護憲三派内閣は、1925年に普通選挙法を成立させる。この際、有権者の急増に伴って「死票を減らし、各党派の議席数を適正に反映させる」必要性が生じたため、小選挙区制は廃止された。これに代わって、1選挙区から3〜5名を選出する中選挙区制(中選挙区単記投票制)が導入され、この制度はのちの昭和後期(1994年の政治改革)まで日本の衆議院選挙の基本構造として長く定着することとなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 律令国家が非常時に備えて、農民の貧富に応じて粟や麦などを徴収し、地方の国府や郡家に備蓄させた制度を何というか?
Q. 1919年の原内閣による選挙法改正で、選挙権の資格である直接国税の納税額はどのように引き下げられたか?
Q. 鎌倉時代において、寺社や公家などの荘園領主(本所)が、自らの荘園の支配や住民のために独自に定めた法を何というか?