朝鮮人・中国人虐殺
【概説】
関東大震災の混乱の中で引き起こされた、流言飛語を起因とする民族的マイノリティの虐殺事件。1923(大正12)年9月、「朝鮮人が暴動を起こす」「井戸に毒を入れた」などのデマを信じた軍隊、警察、民衆(自警団)によって、多数の朝鮮人や中国人が殺害された。
関東大震災と流言飛語の発生
1923年9月1日に発生した関東大震災は、東京や横浜などの首都圏に未曾有の被害をもたらした。家屋の倒壊と大規模な火災により、交通網や通信網が寸断され、情報の空白が生じた。この極度の混乱と不安のなかで、「朝鮮人が暴動を起こしている」「井戸に毒を投げ入れた」「放火している」といった根拠のない流言飛語(デマ)が急速に蔓延した。警察機関の一部もこれらの流言を事実として扱い、管内に伝達したことで、デマは公的な裏付けを得たかのように錯覚され、民衆の恐怖とパニックを煽る結果となった。
戒厳令の布告と自警団の暴走
政府は9月2日、治安維持を目的として東京府と神奈川県に戒厳令を布告し、軍隊を出動させた。同時に、警察は各地域の住民に対して警戒を呼びかけた。これに応じた民衆は、町内会や在郷軍人会を母体として各地で自警団を結成し、日本刀や竹槍、こん棒などで武装した。自警団は各地に検問所を設け、通行人を尋問して朝鮮人であるかどうかを判別しようとした。日本語の特定の音韻(「十五円五十銭」など)を発音させて確認するなどの恣意的な方法がとられ、少しでも怪しいとみなされた者は容赦なく暴行を受け、殺害された。軍隊や警察もこの暴挙に加担、あるいは黙認するケースが多く、公権力と民衆が一体となって凄惨な虐殺が引き起こされた。
中国人や社会主義者への被害拡大
標的となったのは朝鮮人だけではなかった。当時、日本に出稼ぎに来ていた温州出身者を中心とする中国人(華工)も、「朝鮮人と見分けがつかない」あるいは「暴徒の仲間である」とみなされ、大島町(現在の東京都江東区)などで数百名が殺害された。また、この混乱と戒厳令下の非常事態に乗じて、軍や警察は以前から警戒していた社会主義者や無政府主義者をも標的とした。亀戸警察署で労働運動家らが軍に殺害された亀戸事件や、憲兵大尉・甘粕正彦が無政府主義者の大杉栄らを殺害した甘粕事件などが引き起こされ、国家権力による政治的対立勢力の抹殺も同時に進行した。
事件の歴史的背景と現代への教訓
この事件の根底には、1910年の韓国併合以降、日本社会に蔓延していた朝鮮人に対する強い差別意識と、1919年の三・一独立運動などを経て形成された「植民地支配に抵抗する朝鮮人」への潜在的な恐怖心があったとされる。犠牲者の総数については、当時の政府統計から後の独立調査まで諸説あるが、数千人に上ると推定されている。事件後、政府は流言が虚偽であったことを認めたものの、自警団の処罰は微罪にとどまることが多く、軍や警察の責任が徹底的に追及されることはなかった。この虐殺事件は、大規模災害時におけるデマの恐ろしさや、レイシズム(民族差別)が引き起こす民衆心理の暴走を如実に示しており、現代においても極めて重要な歴史的教訓を残している。