甘粕事件

関東大震災直後、アナーキストの大杉栄と伊藤野枝らが、憲兵隊によって連行・殺害された事件を何というか?
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重要度
★★

【参考リンク】
甘粕事件(Wikipedia)

甘粕事件 (あまかすじけん)

1923年

【概説】
関東大震災直後の混乱期に、憲兵大尉の甘粕正彦らが無政府主義者の大杉栄らを拉致・殺害した事件。国家権力(軍部)が混乱に乗じて社会運動指導者を非合法に抹殺した、大正デモクラシー期の重大な治安事件である。

関東大震災の混乱と流言飛語

1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災は、首都圏に壊滅的な被害をもたらした。この未曾有の災害の中、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「無政府主義者や社会主義者が暴動を企てている」といった根拠のない流言飛語が軍や警察、そして自警団の間で急速に拡散した。

当時、日本政府はロシア革命の影響や国内の社会運動の激化に強い危機感を抱いていた。戒厳令が敷かれる中で、軍部や警察などの治安当局は、混乱に乗じて社会秩序を乱す恐れがあるとみなした思想犯や活動家を「危険分子」として排除しようとする動きを強めていった。

事件の発生と大杉栄らの虐殺

こうした極限状態の中、9月16日に事件は起きた。憲兵隊麹町分隊長であった甘粕正彦憲兵大尉らは、大杉栄、その内縁の妻で婦人解放運動家・無政府主義者の伊藤野枝、そして大杉のわずか6歳(数え年で7歳)の甥である橘宗一の3名を東京・淀橋(現在の新宿区)付近で連行した。

3名は憲兵隊本部に監禁され、同日夜に甘粕らによって首を絞められて殺害された。遺体は憲兵隊本部の古井戸に投げ込まれて隠蔽が図られた。大杉栄は当時のアナーキズム(無政府主義)運動のカリスマ的指導者であり、当局から最も危険視されていた人物であったが、婦人運動家である伊藤や、思想とは無関係な幼い幼児までが虐殺されたことは、後に世間に大きな衝撃を与えることとなった。

軍法会議と事件の歴史的影響

事件の発覚後、甘粕正彦らは軍法会議にかけられた。甘粕は「震災のドサクサを利用して社会不安の根源を除去しようとした」として単独犯行(独断専行)を主張したが、軍首脳部による組織的な関与や指示があったのではないかとの疑念は根強く残った。結果として、甘粕は禁錮10年の判決を受けたものの、のちに恩赦によってわずか数年で出所し、満州国建国後は同地の特務工作や文化統制において重要な役割を果たすなど、軍部内での厚遇が続いた。

この甘粕事件と、同時期に労働運動家らが軍や警察に虐殺された亀戸事件は、国家権力が司法の手続きを経ずに国民(とりわけ思想的・政治的反対派)を暴力的に抹殺できることを示した。これは大正デモクラシーの自由な気風に冷や水を浴びせ、後の治安維持法制定(1925年)や、国家による思想・言論弾圧の強化へと向かう暗い時代の幕開けを象徴する出来事となった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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