芥川龍之介 (あくたがわりゅうのすけ)
【概説】
大正時代を代表する新思潮派の天才作家。
『羅生門』や『鼻』などにみられるように、古典を題材に人間のエゴイズムを知的で洗練された短編小説として描き、夏目漱石に絶賛された。
その文学と悲劇的な死は、単なる文学史の枠を超え、大正期知識人の精神史と時代の転換を象徴する出来事として深い歴史的意義を持っている。
新思潮派の旗手と文壇への登場
芥川龍之介は1892年(明治25年)、東京市に生まれた。東京帝国大学英文科在学中の1914年(大正3年)、菊池寛や久米正雄らとともに第3次『新思潮』を創刊し、本格的な文学活動を開始した。その後、第4次『新思潮』の創刊号に発表した短編『鼻』が、日本文壇の巨星であった夏目漱石から「類のない余裕がある」と激賞され、華々しく文壇デビューを果たすこととなる。芥川は漱石の門下生が集う「木曜会」にも参加し、大正文学の中心的な存在として急速に頭角を現していった。
古典の再構築と「理知主義」の文学
芥川の作風は、初期から中期にかけて顕著な「理知主義(新技巧派)」と呼ばれるスタイルに特徴づけられる。『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』などの古典に題材を求めた『羅生門』『芋粥』『地獄変』といったいわゆる「王朝物」や、キリスト教伝来期を舞台にした「切支丹物」を次々と発表した。彼は、人間の奥底に潜むエゴイズムや醜悪な心理を、極めて知的で計算し尽くされた構成と洗練された文体で浮き彫りにした。これは、当時の文壇を席巻していた白樺派の楽天的な理想主義や、作家の私生活を赤裸々に描く自然主義文学に対する鋭いアンチテーゼでもあった。
時代思潮の変化と大正期知識人の苦悩
大正後期に入ると、第一次世界大戦後の慢性的な不況やロシア革命に端を発する社会主義思想の流入を背景に、労働者階級の現実を描くプロレタリア文学が台頭し始めた。芸術至上主義的でブルジョア的な教養人であった芥川は、こうした急速な時代思潮の激変に対して強い戸惑いを覚え、自己の文学的基盤の揺らぎを感じるようになる。晩年は心身の疲労から神経衰弱に悩まされ、それまでの理知的な虚構の構築から一転して、自己の内面や狂気への恐怖を直視する私小説的な作品(『歯車』『或阿呆の一生』)や、痛烈な文明批評を含む『河童』などを執筆した。
自殺が与えた歴史的衝撃と後世への影響
1927年(昭和2年)7月、芥川は「ただぼんやりした不安」という言葉を遺書に残し、服毒自殺を遂げた。享年35。この天才作家の突然の死は、単なる一文士の悲劇にとどまらなかった。教養と個人の自由を重んじた「大正デモクラシー」的な市民文化の敗北と終焉、そして来るべき昭和という暗く軍国主義的な時代への予兆として、当時の社会に計り知れない衝撃を与えたのである。
没後の1935年(昭和10年)、親友であった菊池寛は彼の名を冠した「芥川龍之介賞(芥川賞)」を創設した。この賞は現在に至るまで日本純文学の最高峰にして新人作家の最大の登竜門として機能しており、芥川の存在と遺産は日本の文化・文学史において不滅のものとなっている。