羅生門(芥川龍之介)
【概説】
大正時代の小説家・芥川龍之介が1915年(大正4年)に発表した初期の代表的な短編小説。平安時代後期の説話集『今昔物語集』を題材にとり、荒廃した平安京の羅城門(羅生門)を舞台に、生き延びるために悪の道へと足を踏み出す下人の姿を描き出した。人間の内面に潜むエゴイズムを冷徹に描写し、大正期の文学潮流である「新思潮派」を象徴する作品として、日本近代文学史において極めて重要な位置を占める。
古典説話の近代的再創造
本作は、平安時代後期の説話集『今昔物語集』巻二十九の「羅城門登上層見死人盗人語(羅城門の上層に登りて死人を見たる盗人の語)」などを原典としている。芥川龍之介は東京帝国大学在学中の1915年(大正4年)、同人雑誌『帝国文学』にこの作品を発表した。舞台となるのは、飢饉や辻風(竜巻)などの相次ぐ災害によって極度に荒廃した平安時代末期の京都である。芥川は、原典にある単なる盗人の物語に近代的な心理描写と倫理的葛藤を付与し、歴史の皮膜を通して普遍的な人間の本質を描き出す「王朝物(歴史小説)」という独自のスタイルを確立した。
大正期文学における「新思潮派」の台頭
『羅生門』が発表された大正初期の日本文学界は、明治後期から続いた自然主義文学が衰退し、武者小路実篤や志賀直哉らによる白樺派の人道主義・理想主義が隆盛を極めていた時期であった。これに対し、芥川龍之介や久米正雄、菊池寛らは、夏目漱石の門下(木曜会)に集い、同人誌『新思潮』(第3次・第4次)を舞台に新たな文学運動を展開した。彼らは白樺派の楽観的な自己肯定や人間礼賛に反発し、人間の内面に潜む醜悪な現実や矛盾を、知的な構成と卓越した表現技巧によって描き出そうとした。この文学的態度は「新思潮派(新技巧派・新理知派)」と呼ばれ、『羅生門』はそのマニフェスト的役割を果たした傑作と評価されている。
極限状態における人間のエゴイズム
物語は、主人から暇を出され(解雇され)、行き場を失った下人が雨の降る羅生門の下で途方に暮れる場面から始まる。下人は門の楼上で、死人の髪を抜いて鬘(かつら)を作ろうとする老婆に遭遇する。当初、下人は老婆の行為に対して強い「悪への反発(正義感)」を抱くが、老婆が語る「生きるためには悪事も許される」という自己正当化の論理を聞くうちに、下人の心理は劇的に変化する。最終的に下人は「己もそうしなければ、餓死をする体なのだ」と老婆の論理を逆手にとり、老婆の着物を剥ぎ取って夜の闇の中へ消えていく。この結末は、平時においては隠されている人間の絶対的な利己主義(エゴイズム)と、生きるための生存本能が道徳を凌駕する瞬間を鮮烈に切り取ったものである。
日本文化史における世界的な波及
本作は、発表直後こそ大きな反響を呼ばなかったものの、翌年に発表された『鼻』が夏目漱石に絶賛されたことで、芥川は一躍文壇の寵児となった。その後、『芋粥』や『地獄変』など、『羅生門』の手法を深化させた傑作群を生み出していくことになる。また、戦後の1950年(昭和25年)には、映画監督の黒澤明が本作の舞台設定と、芥川の別の小説『藪の中』のプロットを融合させた映画『羅生門』を制作した。この映画は翌年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を獲得し、日本の映画や文学をはじめとする近代文化が、戦後初めて世界的に高く評価される歴史的な契機を作った。その意味において、芥川の『羅生門』は単なる一文学作品の枠を超え、日本文化史全体に多大な影響を及ぼした文化的金字塔であると言える。