徳永直 (とくながすなお)
【概説】
博同社(共同印刷)の印刷工としての労働争議体験をもとに、小説『太陽のない街』を執筆したプロレタリア文学の代表的作家。小林多喜二と並び、大正末期から昭和初期にかけての左翼的な文学運動を牽引した日本を代表する労働者作家である。
共同印刷争議と『太陽のない街』の誕生
熊本の貧困家庭に生まれた徳永直は、小学校卒業後に印刷工となり、早くから労働運動に身を投じた。彼の運命を大きく変えたのが、1926年(大正15年)に発生した日本最大規模の印刷ストライキである共同印刷争議への参加であった。徳永はこの争議で指導的な役割を果たしたが、争議は組合側の敗北に終わり、自身も解雇処分となった。
この時の過酷な闘争と敗北の体験を、克明かつ生き生きと描き出したのが、1929年(昭和4年)にプロレタリア作家同盟の機関誌『戦旗』に連載された『太陽のない街』である。日当たりの悪い東京の低湿地(小石川の貧民窟)に暮らす労働者たちが、団結して大資本と闘う姿を描いたこの作品は、大きな反響を呼び、徳永を一躍プロレタリア文学の寵児へと押し上げた。
小林多喜二との対比と「労働者作家」としての特質
徳永直は、しばしば同時代のプロレタリア文学の巨頭である小林多喜二と比較される。多喜二の代表作『蟹工船』が、地主や資本家による搾取の構造を知識人ならではの冷徹な分析眼で告発したのに対し、徳永の『太陽のない街』は、自らが「本物の労働者」であった経験から紡ぎ出された点に最大の特徴がある。
徳永の描く労働者は、単に同情されるべき哀れな存在ではなく、たくましい生命力とユーモア、そして時に弱さや内紛を抱えながらも団結していく人間味あふれる集団として描写された。この地に足のついたリアリズムは、当時の左翼知識人による公式主義的な文学論とは一線を画し、多くの一般読者の共感を呼んだ。
ファシズムの台頭による「転向」と戦後の再起
1930年代に入ると、満州事変の勃発や治安維持法の強化に伴い、左翼運動への弾圧は苛烈を極めた。小林多喜二の虐殺(1933年)や、日本プロレタリア作家同盟の解散という逆風のなか、徳永もまた運動からの離脱と転向を余儀なくされた。戦時中は国策文学への協力を求められる苦難の時代を過ごしたが、文学への情熱を捨てることはなかった。
第二次世界大戦が終結すると、徳永はただちに民主主義文学の再建に乗り出し、新日本文学会の創立に参加した。戦後は、戦前の弾圧期を総括した『妻よねむれ』や、足尾銅山争議などを題材にした大作『静かなる山々』を発表。終生、労働者の視点を失うことなく執筆活動を続け、戦後民主主義文学の発展に多大な足跡を残した。