手(高村光太郎) (て)
【概説】
彫刻家・詩人の高村光太郎が1918年に制作したブロンズ製の彫刻作品。フランスの巨匠ロダンの彫刻思想に深く傾倒した光太郎が、みなぎる生命力と精神的な緊張感を「手」という特定の身体部位に凝縮させて表現した、日本近代彫刻史を代表する傑作である。
ロダンの受容と日本近代彫刻の夜明け
作者の高村光太郎(高村光雲の長男)は、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、アメリカ、イギリスを経てフランスのパリへと留学した。光太郎はそこで、近代彫刻の祖とされるオーギュスト・ロダンの彫刻世界に接し、魂を揺さぶられるほどの強烈な衝撃を受けた。当時の日本の美術界は、江戸時代以来の伝統的な職人技に基づく木彫や、単に外面の形を似せるだけのアカデミックな写実主義が主流であった。これに対し、光太郎はロダンの作品から「彫刻とは外的な形態の模倣ではなく、作家自身の内面精神や生命の躍動を物質(粘土や金属)を通じて表現するものである」という芸術の本質を学んだ。帰国後、光太郎は日本の保守的な官設展覧会(文展)の体質を激しく批判し、個人の自由な魂を表現する「近代彫刻」のあり方を日本に根付かせるべく、言論と制作の両面で先駆的な役割を果たした。
大正生命主義の体現と「部分」の芸術性
本作「手」が制作された1918年(大正7年)は、政治における大正デモクラシーの勃興と呼応するように、文化・芸術の領域でも「個の覚醒」や「自我の解放」が叫ばれた時代であった。文学における白樺派の活動や、美術における自己表現の重視は、宇宙的な生命力を称揚する「大正生命主義」という潮流を生み出していた。本作は、まさにその時代精神を造形化したものである。左手の手首から先を上方に向け、親指を強く引き込みつつ、他の指が空間を能動的に掴み取ろうとするかのようなポーズは、内奥から湧き上がる強靱な意志とエネルギーを感じさせる。光太郎は、身体の一部だけを独立した芸術作品として自立させるロダン直伝の「部分彫刻」の手法を用い、解剖学的な正確さを超えた「精神の緊張感」を表現することに成功した。本作は、日本の彫刻が「職人的な細密描写」から「芸術家個人の精神表現」へと完全に移行したことを示す、極めて重要な記念碑的彫刻である。