アイヌ文化振興法(アイヌ新法)
【概説】
1997(平成9)年に制定された、アイヌ民族の文化の振興や伝統の普及、啓発を図るための法律。明治時代以来、政府がアイヌに対して行ってきた同化政策の法的根拠であった「北海道旧土人保護法」を廃止し、日本の民族政策の大きな転換点となった。
「北海道旧土人保護法」の廃止と同化政策の終焉
明治政府は、1869(明治2)年に北海道開拓使を設置して以降、北海道の近代化と開発を急いだ。その過程で、先住していたアイヌ民族の土地や生業(狩猟・漁猟など)を奪い、日本語の習得や風習の改変を迫る同化政策を推し進めた。その差別的政策の法的裏付けとなったのが、1899(明治32)年に制定された北海道旧土人保護法である。同法はアイヌを「旧土人」と称し、強制的な農業転向などを進めるものであった。1997年に制定された「アイヌ文化振興法」(正式名称:アイヌの伝統等によるアイヌの文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律)は、約1世紀にわたって存続した同法をようやく廃止し、国家が初めてアイヌの独自の文化や伝統の価値を認め、それを保護・振興する方針へと舵を切る画期となった。
法制定を後押しした国内外の動き
法制定の背景には、1980年代以降の国際的な人権意識の高まりがあった。国際連合(国連)を中心に先住民族の権利回復運動が活発化し、1993年は「国際先住民族年」に指定された。こうした国際世論の動向に連動する形で、日本国内でも法整備を求める声が高まった。1994年には、アイヌ民族として初の国会議員となった萱野茂(かやのしげる)が参議院議員に就任し、国会質問などで新法の必要性を強く訴えた。さらに、1997年3月の二風谷ダム(にぶだにダム)訴訟の判決において、札幌地方裁判所が行政側の土地収用を違法としつつ、司法の場において初めて「アイヌは先住民族である」と認める判断を下したことも、政府による法制定への決定的な後押しとなった。
法が抱えた限界と「アイヌ施策推進法」への展開
アイヌ文化振興法は歴史的な一歩であったが、成立当初からいくつかの限界も指摘されていた。同法は「文化の振興」に主眼が置かれていたため、先住民族が本来持つべき土地や自然資源に対する権利、自己決定権といった「先住権(先住民族としての権利)」についての言及が避けられた。また、条文内に「先住民族」という文言自体も明記されなかった。これらの課題は、2007年の国連による「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の採択や、2008年の衆参両院による「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を経て、2019(令和元)年に制定されたアイヌ施策推進法(アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律)において、初めて法的に「先住民族」と明記されるまで引き継がれることとなった。