マルクス主義経済学
【概説】
カール・マルクスの『資本論』を基礎に、資本主義経済における搾取の構造や階級社会の発展法則を歴史的・論理的に分析する経済学。日本では大正デモクラシー期から昭和初期にかけて学術界や論壇を席巻し、社会運動や労働運動の強力な思想的基盤となった。
日本における受容と大正期の爆発的流行
日本におけるマルクス主義経済学の本格的な受容と普及は、大正期に入ってから急速に進んだ。その大きな契機となったのが、1916(大正5)年に京都帝国大学教授の河上肇が新聞に連載した『貧乏物語』である。同作は、資本主義社会における構造的な貧困の問題を人道主義的な観点から告発し、知識人や学生の間で大きな反響を呼んだ。さらに、1917年のロシア革命の成功は、マルクス主義が単なる一学説ではなく、現実の社会体制を変革しうる実践的思想であることを証明し、大正デモクラシーの潮流と結びついて労働運動や農民運動、学生運動の活動家たちへ急速に浸透していくこととなった。
日本資本主義論争と国家による弾圧
昭和初期に入ると、日本の経済社会構造の現状分析と、それに伴う社会変革(革命)の道筋をめぐって、マルクス主義経済学者たちの間で激しい論争が展開された。これが日本社会科学史上に残る日本資本主義論争である。野呂栄太郎らが主導した『日本資本主義発達史講座』に拠り、日本は半封建的な絶対主義天皇制の段階にあり、まず民主主義革命が必要であると主張した「講座派」と、日本はすでに高度な資本主義段階に達しており、直ちに社会主義革命が可能であると主張した山川均や向坂逸郎らの「労農派」が鋭く対立した。この論争は日本の近代化の特質を浮き彫りにし、経済学のみならず歴史学や社会学の発展に決定的な影響を与えた。しかし、1930年代に軍国主義の色彩が強まると、治安維持法を背景とした国家権力による凄惨な弾圧(三・一五事件や人民戦線事件など)により、多くの学者が大学を追われ、マルクス主義経済学は太平洋戦争の終結まで沈黙を余儀なくされることとなった。