高橋是清

日露戦争の際、日銀副総裁として欧米に渡り、困難を極めた巨額の外債募集を見事に成功させて戦費調達に貢献した人物は誰か?
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★★★

高橋是清 (たかはしこれきよ)

1854〜1936

【概説】
日露戦争当時、日本銀行副総裁として欧米に渡り、ユダヤ人銀行家シフらの協力を得て巨額の外債募集を成功させた財政家・政治家。大正・昭和期には内閣総理大臣や幾度もの大蔵大臣を歴任し、積極財政によって昭和恐慌からのいち早い経済回復を主導した。

波乱万丈の前半生と日本銀行入り

幕府の御用絵師の家に生まれ、仙台藩の足軽である高橋家の養子となる。幕末に藩命でアメリカに留学するが、ホームステイ先で騙されて年季奉公の奴隷として売られるという辛酸を舐めた。帰国後は持ち前の語学力を活かして文部省や農商務省の官僚として活躍するが、ペルーでの銀山経営事業に騙されて全財産を失うなど、その前半生は文字通り波乱万丈であった。その後、川田小一郎総裁の引き立てにより日本銀行に入行し、卓越した実務能力で頭角を現していくことになる。

日露戦争における戦費調達と外債募集

高橋の生涯において最も歴史的意義が大きい業績の一つが、日露戦争における戦費調達である。1904年(明治37年)に開戦した際、日本の国家予算は約2億6000万円であったのに対し、戦費は17億円以上が必要と見積もられていた。日本国内での資金調達だけでは到底賄いきれず、高橋は日本銀行副総裁として外債(外国政府や海外投資家向けに発行する国債)を募集するため、国家の命運を背負って欧米へと派遣された。

しかし、当時の国際社会では「極東の小国である日本が、大国ロシアに勝てるはずがない」という見方が支配的であり、当初ロンドンでの資金調達は極めて困難を極めた。その窮地を救ったのが、アメリカのユダヤ人銀行家であるジェイコブ・シフ(ヤコブ・シフ)であった。帝政ロシアにおけるユダヤ人迫害(ポグロム)に強い憤りを抱いていたシフは日本の支援を決断し、彼らの協力を得て高橋は巨額の外債募集に成功した。この外債による資金調達の成功がなければ日本は戦争を継続できず、日露戦争の勝利と日本の国際的地位の向上は、高橋の尽力による所が極めて大きい。

政界への転身と「ダルマ宰相」

日露戦争の功績により日本銀行総裁に就任した後、高橋は政界へと転身した。立憲政友会に入党し、原敬内閣で大蔵大臣を務めるなど党の重鎮となった。1921年(大正10年)に原敬が暗殺されると、その後継として第20代内閣総理大臣および政友会総裁に就任した。総理としての在任期間は約半年と短かったが、ふくよかな体格と円満で愛嬌のある風貌から「ダルマ宰相」と呼ばれ、広く国民から親しまれた。

昭和恐慌からの脱出と二・二六事件

昭和に入り、日本が世界恐慌の影響を受けて昭和恐慌と呼ばれる深刻な不況に陥ると、高橋は犬養毅内閣などで再び大蔵大臣に就任した(高橋財政)。彼はただちに金輸出再禁止(金本位制からの離脱)を行い、さらに日本銀行に国債を引き受けさせて政府資金を市場に供給するという、世界に先駆けた積極的な財政政策を断行した。これにより日本は他国よりも早く恐慌からの脱出に成功し、今日では「日本のケインズ」とも評価されている。

しかし、景気が回復した後に悪性のインフレーションを警戒した高橋は、緊縮財政に転じて膨張し続ける軍事費の削減を図った。これが軍部の強い反発を招き、1936年(昭和11年)2月26日に発生したクーデター未遂事件である二・二六事件において、赤坂の私邸で青年将校らによって暗殺された。日本の財政規律を守り抜こうとした偉大な財政家の死は、軍部への牽制役の喪失を意味し、その後の日本が軍部主導の戦争への道を突き進む致命的な転換点となったのである。

高橋是清 ―日本のケインズ その生涯と思想

未曾有の国難に立ち向かった稀代の財政家が、日本の近代経済の礎を築き上げるまでの壮絶な生涯を辿る伝記の決定版。

高橋是清伝 (地球人ライブラリー)

波瀾万丈な経験から養われた先見の明と、国民の暮らしを第一に考えた人間味あふれる思想に触れられる必読の歴史書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 長州藩で「防長三白」の一つとして専売品に指定され、藩の財政を潤した特産品は何か?
A.
Q. 木綿や菜種など、自家消費のためではなく市場で販売して現金収入を得る目的で栽培される作物を何と呼ぶか。
Q. 東大寺勧進所に所蔵されている快慶の作で、神仏習合の思想のもと、八幡神を僧侶の姿で写実的に表現した彫刻は何か?