セオドア=ローズヴェルト

日本政府の依頼を受け、日露戦争の講和会議の開催を仲介したアメリカ大統領は誰か?
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★★★

セオドア=ローズヴェルト

1858年〜1919年

【概説】
日露戦争の際、日本政府の要請を受けて講和の仲介に入り、ポーツマス会議を主催したアメリカ合衆国第26代大統領。東アジアにおける勢力均衡の維持を意図して両国の停戦を促し、その功績によりノーベル平和賞を受賞した。日露戦争後の彼の治世は、日米関係が友好から対立へと転換していく歴史的転換期でもあった。

日露戦争とアメリカの思惑

1904年に勃発した日露戦争において、アメリカは公式には中立を保ちつつも、財政的・外交的に日本に好意的な姿勢を示していた。当時のアメリカは、国務長官ジョン=ヘイが提唱した「門戸開放・機会均等・領土保全」を対清政策の基本としており、満州を事実上占領し、独占的な支配を目論むロシアの南下政策を強く警戒していたのである。

1901年に大統領に就任したセオドア=ローズヴェルトもまた、自国の権益を確保するために東アジアにおける勢力均衡(バランス・オブ・パワー)を重視し、日本を支援することでロシアの拡張を牽制しようと考えた。ただし、彼が望んだのは日本が適度に勝利を収めてロシアの野望を挫くことであり、日本が決定的な勝利を得て東アジアにおける新たな覇権国となることまでは望んでいなかった。

金子堅太郎による働きかけと講和の仲介

戦争が長期化するにつれ、日本は軍事面・財政面ともに国力の限界に近づきつつあった。そのため、日本政府は早期の講和を模索し、アメリカにその仲介を期待した。この外交工作において極めて重要な役割を果たしたのが、伊藤博文の腹心であった金子堅太郎である。

金子はハーバード大学留学時代にローズヴェルトと親交を結んでおり、その人脈を買われて渡米した。金子はローズヴェルトとたびたび会談し、日本の立場や戦争の正当性を訴えるとともに、アメリカ世論を親日へと傾けるための広報外交(パブリック・ディプロマシー)を精力的に展開した。ローズヴェルト自身も新渡戸稲造の『武士道』を愛読するなど日本に対する理解と共感を示しており、金子を通じた日本政府からの正式な講和斡旋の要請(1905年5月末の日本海海戦の勝利直後)を快諾することとなった。

ポーツマス会議の開催とノーベル平和賞

1905年8月、ローズヴェルトの招請により、アメリカ東海岸の軍港都市ポーツマスにおいて日露講和会議(ポーツマス会議)が開催された。日本全権の小村寿太郎とロシア全権のウィッテとの間で交渉が行われたが、特に領土割譲と賠償金をめぐって激しく対立し、会議は何度も決裂の危機に直面した。

これに対しローズヴェルトは、背後で両国に強い働きかけを行い、とくにロシア皇帝ニコライ2世に譲歩を迫るなど、交渉の妥結に向けた積極的な調停役を果たした。結果として、賠償金の放棄と南樺太の割譲などを条件とするポーツマス条約が同年9月に調印され、日露戦争は終結した。ローズヴェルトはこの講和仲介の功績が高く評価され、1906年にアメリカ人として初となるノーベル平和賞を受賞した。

戦後の日米関係の転換と対日政策

ローズヴェルトの仲介により日本は国難を乗り切ったが、日露戦争後の日米関係は急速に摩擦を生じていくことになる。日本が南満州の鉄道・鉱山権益(のちの南満州鉄道株式会社など)を獲得し、事実上の勢力圏を築き始めたことは、アメリカが掲げる「門戸開放」原則と相反するものであった。1905年の桂・タフト協定で日本による韓国の保護国化を事実上黙認し、1908年の高平・ルート協定で太平洋における現状維持と清国の独立・領土保全を確認したものの、ローズヴェルトは次第に台頭する日本の軍事力を自国の潜在的脅威とみなすようになった。

さらに、アメリカ西海岸のカリフォルニア州などで日本人移民に対する排斥運動が激化したことも両国の火種となった。ローズヴェルトは日米紳士協約(1907〜08年)を結んで移民制限により事態の沈静化を図ると同時に、海軍の白く塗装された大艦隊(グレート・ホワイト・フリート)を世界一周航海に出発させて日本に寄港させ、アメリカの強大な軍事力を誇示して日本を牽制した。このように、彼の在任期間は日米が「協調」から「対立」の時代へと足を踏み入れる歴史的な転換点であった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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