赤痢菌 (せきりきん)
【概説】
伝染病研究所の志賀潔が発見した、激しい下痢や血便を主症状とする伝染病・赤痢の病原菌。1897年(明治30年)の大流行時に分離・同定され、細菌学における日本の世界的貢献を示す金字塔となった。現在でも世界共通の学名として、発見者の名にちなむ「Shigella(シゲラ)」が用いられている。
明治期の伝染病流行と近代医学の黎明
明治維新後の日本は、開国に伴う人的・物的交流の活発化により、コレラやペスト、そして赤痢といった深刻な急性伝染病の脅威に晒されていた。富国強兵を推進する明治政府にとって、国民の健康を蝕む伝染病の予防と公衆衛生の確立は急務の国家課題であった。こうした背景の中、ドイツに留学してコッホの下で細菌学を学んだ北里柴三郎が帰国し、1892年(明治25年)に伝染病研究所を設立した。この研究所は、日本の近代医学および細菌学の拠点となり、後に世界的業績を挙げる多くの優秀な研究者を輩出していくことになる。
志賀潔による病原菌の発見
1897年(明治30年)、日本全国で赤痢が大流行し、患者数約9万人、死者が2万人を超えるという未曾有の事態となった。赤痢は激しい腹痛、下痢、血便を伴い、当時の致死率は非常に高かった。この事態を受け、伝染病研究所の所長であった北里柴三郎の指示により、若き助手であった志賀潔が赤痢の病原菌究明に乗り出した。
志賀は多数の患者の便を顕微鏡で根気強く観察し、ついに原因となる病原菌の分離・培養に成功する。彼は自ら培養した菌からワクチンを試作し、自身の腕に注射して安全性を確かめるなど、身の危険を顧みない献身的な研究を行った。この発見により、古くから人類を苦しめてきた赤痢の原因が歴史上初めて特定されたのである。
世界的な評価と学名「Shigella(シゲラ)」
志賀潔による赤痢菌発見の論文は、翌1898年にドイツの医学専門誌で発表され、世界中の医学界から驚きと賞賛をもって迎えられた。これは、黎明期にあった日本の医学・細菌学が、わずかな期間で欧米の先進国に比肩する世界最高水準に達していたことを証明する画期的な出来事であった。
この功績から、後に国際細菌命名委員会において、赤痢菌属の学名には発見者である志賀の名を冠した「Shigella(シゲラ)」という名称が与えられた。日本人の名前が生物の学名として国際的に採用された数少ない例の一つであり、明治時代の科学技術史において燦然と輝く記念碑的な業績として高く評価されている。