高峰譲吉

消化酵素「タカジアスターゼ」の抽出や、世界初のホルモン結晶化である「アドレナリン」の抽出に成功した化学者は誰か?
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★★★

高峰譲吉

1854年〜1922年

【概説】
化学者・実業家。強力な胃腸薬「タカジアスターゼ」を創製し、世界で初めてホルモンの一種である「アドレナリン」の結晶化に成功した人物。明治から大正にかけて日米を拠点に活躍し、日本の近代化学・製薬工業の黎明期を支えるとともに、日米親善という民間外交にも多大な貢献を果たした。

工部大学校から農商務省へ

加賀藩の御典医の家に生まれた高峰譲吉は、幼少期から長崎などで蘭学や英語を学び、1879年(明治12年)に工部大学校(現在の東京大学工学部の前身)の第1期生として応用化学を修めた。その後、イギリスのグラスゴー大学への留学を経て農商務省に入省した。彼は日本の近代産業を育成するためには化学肥料が不可欠であると痛感し、渋沢栄一らの協力を得て日本初の人造肥料会社(のちの大日本人造肥料、現在の日産化学)の設立に尽力した。さらに、専売特許条例(現在の特許法)の制定にも関与するなど、日本の工業所有権制度の基礎づくりにも貢献している。

タカジアスターゼの創製

1890年(明治23年)、高峰はアメリカでの醸造事業に携わるため渡米した。彼は日本古来の清酒醸造に用いられる麹菌(こうじきん)に着目し、麦芽の代わりに麹菌を利用してデンプンを糖化する安価なアルコール製造法を研究していた。この醸造事業自体は既存業者からの反発など様々な困難に直面して頓挫したものの、高峰は麹菌の研究から強力なデンプン消化酵素を抽出することに成功する。1894年(明治27年)、彼はこれをタカジアスターゼと命名して特許を取得した。この発明はアメリカの製薬会社から胃腸薬として発売されるや世界的ベストセラーとなり、高峰に多大な名声と莫大な財産をもたらすこととなった。

アドレナリンの発見と医学への貢献

タカジアスターゼの成功で得た資金をもとに、高峰はニューヨークに独自の研究所を設立した。ここで彼は動物の臓器からの有効成分の抽出に取り組み、特に副腎の止血作用に着目した。1900年(明治33年)、彼は助手である上中啓三(うえなか けいぞう)とともに牛の副腎から血圧を上昇させる有効成分の単離に挑み、世界で初めてホルモンの一種であるアドレナリンの結晶化(抽出)に成功した。これは医学・生理学の歴史において画期的な業績であり、のちに止血剤や強心剤、気管支拡張剤として医療現場で広く実用化され、無数の人命を救うことになった。

実業家および民間外交官としての足跡

高峰は優れた科学者であっただけでなく、卓越した実業家でもあった。日本国内においては、タカジアスターゼの販売を担う企業を母体として、1913年(大正2年)に三共株式会社(現在の第一三共の前身)が設立されると、その初代社長に就任している。また、彼は晩年、排日移民運動などで悪化しつつあった日米関係の改善にも心血を注いだ。1912年(明治45年)、東京市長の尾崎行雄がワシントンD.C.のポトマック河畔に桜の苗木を寄贈した有名なエピソードの裏には、高峰の多額の資金援助とアメリカ政府への積極的な働きかけがあった。民間外交官として両国の親善に尽くした彼の功績は、科学的業績に勝るとも劣らない歴史的意義を持っている。

高峰譲吉:トライ、トライ、アゲイン (ミネルヴァ日本評伝選)

幾多の失敗を糧にタカジアスターゼとアドレナリンを発見し、世界的な科学者として名を刻んだ高峰譲吉の不屈の生涯を描いた評伝。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 美濃国をはじめとする周辺の幕領を管轄し、治水などの農政や年貢徴収を担当した幕府の地方官(郡代)を何というか?
Q. 1203年、北条時政が将軍頼家の外戚として権力を持っていた比企能員を自邸に呼び出して暗殺し、その一族を滅ぼした事件を何というか?
Q. 荘園公領制の下で、農民が本所や領家、あるいは国司に対して納める最も基本的な税(主に米)を何というか。