明星
【概説】
明治時代中期に与謝野鉄幹が主宰する東京新詩社が発行した文芸雑誌。与謝野晶子らの華やかで情熱的な作品を掲載し、日本の浪漫派文学の全盛期を築き上げた。個人の感情や自我の解放を高らかに謳い、近代文学史のみならず美術史においても重要な役割を果たした。
東京新詩社の結成と『明星』の創刊
1900(明治33)年、詩人・歌人である与謝野鉄幹を中心に結成された東京新詩社の機関誌として『明星』は創刊された。当時の歌壇は旧態依然とした旧派和歌の伝統的勢力が力を持っていたが、鉄幹はこれを打破し、短歌の革新を目指して本誌を立ち上げた。初期は詩や短歌を中心としつつ、次第に小説や戯曲、評論なども掲載する総合文芸雑誌へと発展していった。
浪漫主義の開花と自我の解放
明治30年代は、日清戦争後の国家意識の高まりと同時に、西洋思想の流入によって個人主義や自我の覚醒が強く意識された時代であった。『明星』はこうした時代背景のなかで、理知や道徳よりも個人の感情、自由、恋愛を至上のものとする浪漫主義(ロマン主義)の拠点となった。これまでの形式主義的な和歌から脱却し、自己の情熱や内面を率直に表現する新しい詩歌のスタイルは、抑圧された社会制度のなかに生きていた当時の青年層から熱狂的な支持を集めた。
与謝野晶子の活躍と次世代の才能の輩出
『明星』の顔とも言うべき存在が、後に鉄幹の妻となる与謝野晶子である。彼女は本誌上で奔放な恋愛感情や女性の官能美を大胆に詠い上げ、1901(明治34)年に刊行された第一歌集『みだれ髪』はその集大成として当時の社会に大きな衝撃を与えた。また、本誌は新人発掘の場としても機能し、石川啄木、北原白秋、吉井勇、高村光太郎など、後の大正・昭和期の日本文学を牽引する多彩な才能を次々と輩出するゆりかごとなった。
美術との融合とアール・ヌーヴォーの受容
『明星』が画期的であったのは、文学の枠にとどまらず、美術との積極的な融合を図った点にもある。表紙や挿絵には藤島武二や青木繁ら当時の気鋭の洋画家が起用された。とくに藤島武二が手がけた西洋のアール・ヌーヴォー調を取り入れた優美な装丁は、みずみずしい浪漫主義の詩歌と見事に共鳴し、雑誌そのものがひとつの総合芸術としての視覚的な価値を持っていた。
終焉と文学史における意義
明治時代を席巻した『明星』であったが、日露戦争後になると、社会の暗部や現実を客観的・写実的に描こうとする自然主義文学が文壇の主流となり、浪漫派は次第に時代遅れとみなされるようになった。新詩社内部での文学的見解の相違や主要同人の独立も相次ぎ、1908(明治41)年11月、第100号をもって廃刊となった。しかし、伝統的権威に抗い、個人の絶対的な自由と美を追求した『明星』の運動は、日本の近代文学における「自我の確立」を決定づけたという点で、極めて大きな歴史的意義を有している。