あらくれ
1915年
【概説】
自然主義文学を代表する作家・徳田秋声の長編小説。封建的な「家」の秩序や男性に縛られず、様々な職業を転々としながら本能のままに逞しく生き抜く女性・お島の半生を描いた近代文学の傑作。
自然主義文学の極致と徳田秋声のリアリズム
日本の近代文学において、大正4年(1915年)に発表された『あらくれ』は、島崎藤村や田山花袋らと並ぶ自然主義文学の巨頭・徳田秋声の最高傑作として知られる。秋声の作風は、過度な感傷や理想化を徹底して排し、冷徹なまでに客観的な視点から市井の凡俗な人間模様をありのままに描き出す点に特徴がある。
本作は、明治末期から大正期へと移行する激動の世相を背景に、社会の底辺に生きる人々の生活感を克明に活写した。秋声特有の無駄を削ぎ落とした簡潔な文章と、道徳的な善悪の判断を差し挟まない即物的な人間描写は、日本のリアリズム小説における一つの到達点として高く評価されている。
主人公・お島の流転と近代女性の「個」の目覚め
『あらくれ』の最大の見どころは、主人公であるお島の強靭な生命力である。お島は養家や最初の夫のもとから自らの意志で逃げ出し、缶詰屋、洋服屋、さらにまた別の男のもとへと、次々に自らの居場所とパートナーを変えながら、自活の道を模索していく。従来の明治文学に多く描かれた「社会に抑圧される哀れな犠牲者としての女性」ではなく、男に経済的に依存せず、むしろ男を翻弄しながら自らの才覚と欲望に従ってたくましく生き抜く新しい女性像が提示された。
こうしたお島の生き方は、当時の明治政府が推進した「家制度」や良妻賢母というジェンダー規範から大きく逸脱するものであった。それゆえに本作は、近代日本において家や男性の束縛から脱却し、ひとりの主体として自立しようとする女性のエネルギーを体現した先駆的な作品として、社会史・女性史の観点からも極めて重要な意義を持っている。