青銅器時代
【概説】
人類の歴史区分において、石器時代の後に現れ、青銅で作られた道具を主要な利器として用いた時代。世界史的には石器・青銅器・鉄器の順に段階的に移行するが、日本列島においては青銅器と鉄器がほぼ同時に伝来したため、純粋な青銅器時代は存在しない。弥生時代がこれに該当し、青銅器は実用具ではなく、主に祭祀の道具(宝器)として独自の発展を遂げた。
「三時期法」と日本における青銅器時代の特異性
19世紀にデンマークの考古学者トムセンが提唱した「三時期法」では、人類の利器の歴史は石器時代、青銅器時代、鉄器時代の順に発展したとされる。しかし、日本列島におけるこの歴史区分は、世界史の標準的な発展段階とは大きく異なっている。
日本列島においては、紀元前10世紀頃(弥生時代の始まり)に、大陸および朝鮮半島から青銅器と鉄器がほぼ同時にもたらされた。そのため、石器から段階的に青銅器へ、そして鉄器へという順を追った発展を経験していない。このため、日本の考古学においては独立した「青銅器時代」を設定せず、弥生時代を「青銅器・鉄器時代」あるいは「金石併用時代」として位置づけるのが一般的である。
実用の「鉄器」と祭祀の「青銅器」の二元体制
青銅器と鉄器が同時に流入した日本列島では、それぞれの金属の特性に応じた独自の役割分担がなされた。加工しやすく強度に優れた鉄は、木工具や農具、あるいは実戦用の武器といった実用具(生産・戦闘の道具)として急速に普及した。
一方、素材が貴重であり、鋳造直後は黄金色に輝く美しい光沢を持つ青銅は、共同体の豊作を祈る祭りや、首長の権威を示すための祭祀具(宝器)として用いられた。伝来当初は大陸同様の実戦用の武器(銅剣・銅矛・銅戈など)であったが、時代が進むにつれて実用性を失い、徐々に大型化・薄肉化して、音を鳴らしたり見せたりするための「祭祀専用の青銅器」へと変化を遂げたのである。
青銅器の分布から見る弥生社会の「文化圏」
日本列島における青銅器の分布は、当時の地域社会のまとまり(文化圏)を示す重要な指標となっている。代表的なものとして、近畿地方を中心とする銅鐸文化圏と、九州地方を中心とする武器形青銅器文化圏(銅剣・銅矛・銅戈など)に二分される。これは、日本列島各地に異なる祭祀のネットワークや政治的なまとまりが存在していたことを示唆している。
しかし、弥生時代後期から古墳時代へと社会が移行する過程で、これらの地域特有の青銅祭祀は急速に衰退した。ヤマト王権の成立に伴い、各地の首長を結びつける新たな象徴として、中国から伝来、あるいは国内で模倣生産された銅鏡(三角縁神獣鏡など)が重視されるようになり、古墳の副葬品としての青銅器の役割へと変質していくのである。