星亨

後藤象二郎らとともに、国会開設に向けて民権派の再結集を呼びかける「大同団結」を提唱した旧自由党系の政治家は誰か?
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重要度
★★

【参考リンク】
星亨(Wikipedia)

星亨 (ほしとおる)

1850〜1901

【概説】
明治時代の日本における代表的な政党政治家、弁護士。自由民権運動期に自由党の理論家・組織者として頭角を現し、のちに衆議院議長や立憲政友会幹部として日本の政党政治の近代化を推進した人物。同時に、地方への利益誘導や組織力による強引な政治手法を確立し、初期の政党政治が抱える「妥協と腐敗」を体現した存在でもある。

自由民権運動と大同団結運動への参画

江戸の町医師の家に生まれた星亨は、英語を学び、明治維新後は陸奥宗光の知遇を得て税関長などを務めた。その後、イギリスに留学して日本人として最初期の弁護士(当時は代言人)資格を取得。帰国後は自由民権運動に身を投じ、自由党の理論家・闘士として頭角を現した。

星の歴史的功績の一つが、1887年に後藤象二郎らとともに提唱した大同団結運動である。これは、分裂していた民権派諸勢力を結集して政府に対抗しようとする一大合流運動であった。星はその中心人物として精力的に活動したが、これを脅威とみた第1次伊藤博文内閣が発した保安条例によって東京から追放される処分を受け、一時的に海外渡航を余儀なくされた。

議会政治における「リアリズム」の導入と初の除名処分

帰国後の1890年、第1回衆議院議員総選挙で当選した星は、1892年に第2代衆議院議長に就任した。彼はイギリス仕込みの法知識と言論力を武器に、草創期の帝国議会において強力な指導力を発揮した。しかし、その政治手法は極めて現実的であり、理念に固執するよりも政府との妥協や取引を辞さない「政治的リアリズム」を重視するものであった。

この強引な議事進行や、数々の汚職・収賄疑惑(相馬事件への関与など)が引き金となり、対立派閥からの激しい反発を招く。その結果、1893年に衆議院議長を更迭され、さらには衆議院議員の除名処分を受けるという、日本の議会史上初の不名誉な記録を残すこととなった。

政党政治の組織化と利権誘導、そして悲劇的な最期

その後、駐米公使を経て政界に復帰した星は、1900年の立憲政友会(伊藤博文総裁)の結成において、旧自由党系の実力者として最大の貢献を果たした。星は、政党の維持・拡大には理想論だけでなく、強力な集票組織(院外団)の構築や、鉄道敷設・公共事業といった地方への「利益誘導」が必要不可欠であることを見抜いていた。これにより、現代にまで続く「利権と集票」を軸とした日本の政党組織の基礎が築かれた。

星は東京市議会および参事会でも圧倒的な権力を握り、「星派」と呼ばれる一大勢力を築いて市政を牛耳った。しかし、東京市疑獄事件をはじめとする汚職の噂が絶えず、世論からは「腐敗政治の元凶」として激しい批判を浴びることとなった。そして1901年、星の金権政治と専横に憤慨した東京士族で弁天学校長(元剣術師範)の伊庭想太郎により、東京市役所の参事会室内において刺殺された。その死は、日本の政党政治が近代化を遂げる過程で内包した、民主主義と金権汚職という根深い矛盾を象徴する出来事であった。

星亨伝 (1948年)

明治の政界を揺るがした怪物政治家の生涯を克明に描き出す、権力闘争と日本の近代化を読み解く歴史的評伝。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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