袁世凱

甲申事変が発生した際、漢城(ソウル)に駐留する清国軍を率いて素早く反撃し、独立党のクーデターを粉砕した清国の軍人は誰か?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
袁世凱(Wikipedia)

袁世凱 (えんせいがい)

1859年〜1916年

【概説】
清末から中華民国初期にかけて活躍した中国の軍人・政治家。朝鮮駐留軍の若き指揮官として甲申事変を迅速に鎮圧し、東アジアにおける清朝の優位を確立して日本の進出を阻んだ人物。

甲申事変における迅速な武力介入

1880年代、李氏朝鮮では清朝との宗属関係を維持しようとする事大党(穏健開化派)と、日本と結んで近代化と独立を図る独立党(急進開化派)の対立が激化していた。1884年、金玉均や朴泳孝らの独立党は、日本の竹添進一郎公使や日本軍の支援を得てクーデターを断行し、新政権を樹立した(甲申事変)。

この危機に対し、当時25歳の若さで朝鮮駐留清国軍の指揮を執っていた袁世凱は、迅速な決断を下した。彼は事大党の要請を受ける形で即座に軍を動かし、日本軍が護衛する王宮を攻撃してこれを制圧。独立党のクーデターをわずか3日間で鎮圧し、日本の朝鮮進出の野望を一時的に頓挫させた。この一連の軍事行動により、袁世凱は清朝の実力者である李鴻章から高く評価され、頭角を現すこととなった。

朝鮮の「監国」化と日清対立の激化

甲申事変の解決後、日本と清の間で天津条約(1885年)が締結され、両国軍は一度朝鮮から撤退した。しかし、袁世凱は「駐紮朝鮮総理交渉通商事宜」(実質的な駐朝全権代表)として再び朝鮮に乗り込み、内政や外交に深く介入した。彼は朝鮮の国王・高宗を圧迫し、朝鮮の近代化改革を牽制しつつ、清の属国としての地位を固定化しようとした。

袁世凱が約10年間にわたり朝鮮で強固な支配体制(監国化)を敷いたことは、日本にとって大きな脅威となった。日本国内では「朝鮮の独立(清からの離脱)」を支援する名目のもと、対清強硬論が台頭し、軍備増強が急ピッチで進められる契機となった。結果として、袁世凱による朝鮮支配の強化は、1894年の日清戦争勃発を招く歴史的な導火線となったのである。

絶対に民主化しない中国の歴史

中華帝国から続く権力の構造を紐解き、なぜこの国が民主化という概念を拒絶し続けるのかを解き明かす刺激的な考察。

袁世凱 現代中国の出発 (岩波新書)

辛亥革命後の混乱期に独裁の基盤を築いた男の肖像を通し、現代中国の政治的起源と歪な国家の成り立ちを問う必読の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 1868年に制定され、現在まで続いている「天皇一代につき元号を一つのみとする」という制度を何というか?
Q. 山崎闇斎が創始し、朱子学の大義名分論と神道を結合させてのちの尊王攘夷論に影響を与えた神道説は何か。
Q. 現存する5つの風土記のうち、九州地方の現在の大分県について記されたものは何か?