ブラック (ぶらっく)
1827年〜1880年
【概説】
幕末から明治初期にかけて日本で活動したイギリス人のジャーナリスト。日本語による日刊新聞『日新真事誌』を創刊し、日本の近代ジャーナリズムの先駆者となった人物。
『日新真事誌』の創刊と本格的ジャーナリズムの導入
ジョン・レディー・ブラック(John Reddie Black)は、1861年に来日し、当初は横浜で外国人向けの英文新聞を発行していた。しかし、日本の近代化には日本語による本格的な報道が必要であると考え、1872(明治5)年に日本語日刊紙『日新真事誌』を創刊した。当時、日本国内に存在していた新聞は、政府の布告を伝える公報のようなものや、娯楽中心の「小新聞(こしんぶん)」が主流であった。これに対しブラックは、政論(社説)を掲載し、政府の政策に対する論評や海外の最新情勢を正確に伝えるという、欧米流の「大新聞(おおしんぶん)」のスタイルを日本に定着させた。
民撰議院設立建白書の掲載と言論統制への抵抗
『日新真事誌』の最も大きな歴史的功績は、1874(明治7)年に板垣退助や後藤象二郎らが提出した「民撰議院設立建白書」を、他紙に先駆けて全文掲載したことである。この記事は世論に大きな衝撃を与え、自由民権運動が本格化する導火線となった。政府を鋭く批判するブラックの言論活動に対し、明治政府は危機感を募らせた。当時、領事裁判権に守られた外国人ジャーナリストを日本の国内法で直接取り締まることは困難であったため、政府はブラックを司法省や左院の「お雇い外国人」として高給で召し抱え、実質的に新聞発行の現場から引き離すという懐柔策をとった。この言論封じ込め工作や、その後に制定された新聞紙条例などの弾圧により、ブラックはジャーナリズムの表舞台から後退を余儀なくされたが、彼が蒔いた近代報道の種は日本の自由民権期における政論新聞の隆盛へと受け継がれていった。