戯作文学

江戸時代の滑稽本の形式を受け継ぎ、明治初期の文明開化の世相を面白おかしく風刺した文学のジャンルを何というか?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
戯作(Wikipedia)

戯作文学 (明治初期)

【概説】
江戸時代後期の滑稽本や人情本などの伝統を受け継ぎ、明治初期の急激な社会変動や文明開化の世相を滑稽・風刺を交えて描いた通俗的な文学。仮名垣魯文らの作品に代表され、新時代の新しい風俗や庶民の戸惑いをおもしろおかしく描き出して人気を博した。近代写実主義文学へと移行する前段階の過渡期に位置する文学潮流である。

江戸の伝統と「文明開化」の受容

明治維新という政治的・社会的な大激変が起こったものの、庶民の文化的嗜好がすぐに変化したわけではなかった。明治初期の読物市場をリードしたのは、江戸後期の戯作(滑稽本、人情本、合巻など)のスタイルを踏襲した作家たちであった。彼らは、散髪や牛鍋、洋傘、洋服といった「文明開化」のシンボルや新風俗をいち早く題材に取り入れ、江戸以来の軽妙な文体とユーモアをもって描き出した。これは、急激な西洋化に対して戸惑う庶民の本音を代弁するとともに、新しい時代を笑い飛ばしながら受け入れていくための緩衝材としての役割を果たした。

仮名垣魯文と戯作文学の隆盛

明治戯作文学の流行を決定づけたのが、仮名垣魯文(かながきろぶん)である。魯文は、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』のパロディとして、海外旅行を擬似体験させる『西洋道中膝栗毛』を著した。さらに、牛鍋屋を舞台にさまざまな人物の会話を通じて開化期の世相を風刺した『安愚楽鍋(あぐらなべ)』を執筆し、「牛鍋を食わぬ奴は開化の進まぬ奴」といった流行語を生み出して大ベストセラーとなった。また、服部撫松(はっとりぶしょう)の『東京新繁昌記』なども、漢文調の文体でありながら東京の新風俗を鋭く風刺し、広く読まれた。

近代文学への過渡期としての意義と衰退

明治の戯作者たちは、1870年代に創刊が相次いだ大衆向けの「小新聞(こしんぶん)」に寄稿し、センセーショナルな事件を脚色して伝えることで、初期のジャーナリズム形成にも大きく貢献した。しかし、これらの作品は道徳的な教化や勧善懲悪、あるいは単なる滑稽(お笑い)の域を出るものではなかった。1880年代に入ると、坪内逍遥が『小説神髄』で従来の戯作的な勧善懲悪を否定して芸術としての「写実主義」を唱え、二葉亭四迷が『浮雲』で言文一致体を実践した。これにより、戯作文学は旧時代の古臭い文学として批判の対象となり、近代日本文学の確立とともに歴史の表舞台から急速に姿を消していくこととなった。

明治文學全集 1 明治開化期文學集(一)

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日本近代文学大系 57 近代評論集 1

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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