衆議院議員選挙法

大日本帝国憲法の公布と同時に制定され、「直接国税15円以上を納める満25歳以上の男子」などに選挙権を規定した法律は何か?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
普通選挙法(Wikipedia)

衆議院議員選挙法 (しゅうぎいんぎいんせんきょほう)

1889年

【概説】
1889年(明治22年)2月11日、大日本帝国憲法の発布と同日に制定された、日本最初の衆議院議員選挙の基本ルールを定めた法律。直接国税15円以上を納める25歳以上の男子にのみ選挙権を与えるなど、極めて厳格な制限選挙を規定した。この法律に基づいて翌1890年に第1回衆議院議員総選挙が実施され、帝国議会が開設されることとなった。

厳格な納税資格と藩閥政府の意図

1889年の衆議院議員選挙法において、最も特徴的なのは選挙権の付与における厳しい財産制限である。選挙権は「直接国税15円以上を納める25歳以上の男子」、被選挙権は「直接国税15円以上を納める30歳以上の男子」に限定された。この当時の直接国税とは地租と所得税を指しており、実質的に有権者は地主や豪商といった地方の富裕層に限られた。

その結果、第1回総選挙における有権者数は約45万人であり、これは全人口(約4000万人)のわずか約1.1%に過ぎなかった。このように厳しい制限を設けた背景には、自由民権運動を通じて高まっていた過激な反政府思想を持つ者や、都市の労働者・無産階級を政治から排除し、体制の安定を図ろうとする藩閥政府の強い警戒感があった。

小選挙区制と記名投票による管理の試み

選挙制度の具体的な内容として、第1回選挙法では、原則として1つの選挙区から1人の議員を選出する小選挙区制(一部は2人選出の制限連記制)が採用された。また、投票方法は投票用紙に有権者自身の氏名を記入して捺印する記名投票であった。

政府が小選挙区制を採用した狙いは、地域ごとの名望家(地主や有力者)を個別に抱き込むことで、全国的な政党の組織化を防ぐことにあった。さらに記名投票は、有権者が誰に投票したかが政府側に筒抜けになるため、地方官憲による投票行動への干渉や圧力を容易にする側面を持っていた。しかし、1890年の第1回総選挙では、政府の予想に反して自由党や立憲改進党などの野党(民党)が過半数を獲得し、初期議会は藩閥政府と民党が激しく対立する場となった。

選挙法改正の変遷と「普通選挙」への歩み

衆議院議員選挙法は、その後の社会情勢の変化や政党政治の進展に伴い、度重なる改正を経験することになる。まず1900年(明治33年)の第2次山県有朋内閣期には、近代化による都市人口の増加に対応するため、納税資格が10円以上へと引き下げられた。同時に、選挙区は大選挙区制へと変更され、投票の秘密を守るための秘密投票(無記名投票)がようやく導入された。

その後、大正デモクラシーの潮流のなかで、1919年(大正8年)に原敬内閣のもとで納税資格が3円以上へと大幅に緩和され、選挙区は再び小選挙区制に戻された。そして1925年(大正14年)、加藤高明護憲三派内閣によって納税資格を完全に撤廃する大改正(いわゆる普通選挙法の制定)が行われ、25歳以上の全ての男子に選挙権が与えられることとなった。1889年の衆議院議員選挙法は、日本における近代民主政治の出発点であると同時に、その後の「普選運動」の標的として日本の民主化を牽引する起点となった制度である。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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