西洋道中膝栗毛

高校日本史的重要度
★★

西洋道中膝栗毛 (せいようどうちゅうひざくりげ)

1870〜1876年

【概説】
明治初期に仮名垣魯文によって執筆された、文明開化期を代表する滑稽本。江戸時代のベストセラー『東海道中膝栗毛』の主人公である弥次さん・喜多さんの孫たちが、ロンドン万国博覧会を目指して西洋諸国を旅する道中をユーモラスに描いた作品。西洋の新しい文物や習慣に対する庶民の驚きや誤解を風刺的に描き、当時の大ベストセラーとなった。

「戯作」が描いた文明開化の世相

明治維新後、日本社会は急速な西洋化(文明開化)の波に洗われた。こうした急激な社会構造の変化や新しいライフスタイルの到来に対し、江戸時代以来の文学ジャンルである「戯作(げさく)」の書き手たちは、これらをパロディや風刺の格好の素材とした。その代表格が仮名垣魯文(かながきろぶん)である。

魯文は、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』のパロディとして本作を構想し、1870(明治3)年から1876(明治9)年にかけて断続的に刊行した。伝統的な戯作の文体を維持しながらも、中身は散髪、洋食、洋服といった当時の新風俗や、西洋の近代技術への驚きに満ちており、旧来の価値観と新しい西洋文明との衝突を滑稽に描き出した。本書は、同時期に刊行された同じく魯文の『安愚楽鍋(あぐらなべ)』とともに、開化期の庶民の意識を色濃く反映した文学資料としてきわめて価値が高い。

ロンドン万博と「世界」へのまなざし

本作のストーリーは、弥次さん・喜多さんの孫(弥次郎兵衛の孫・梵太郎、喜多八の孫・多九作)が、横浜港から船に乗り、アメリカを経由してロンドン万国博覧会へと向かう道中を描いている。実際には著者の魯文自身は海外渡航の経験がなく、福沢諭吉の『西洋事情』などの翻訳書・紹介書を巧みに下敷きにして、想像力を駆使して執筆された。

当時は、岩倉使節団の派遣に見られるように、国家規模で西洋の近代文明を摂取しようとしていた時代であった。しかし、一般庶民にとって海外旅行は未だ夢のまた夢であり、世界情勢についての知識も限られていた。そうした中、読者たちは本作を通じて、弥次喜多コンビが西洋の最新技術(蒸気船やホテル、鉄道など)や異なる生活習慣に戸惑い、失敗を繰り返す様子を笑いながら、同時に西洋という未知の「世界」の姿を学習したのである。本作は単なる娯楽小説にとどまらず、当時の日本人がいかにしてグローバルな近代社会と出会い、これを受容していったかを示す貴重な歴史的証言となっている。

最終更新:
2026年6月16日 @ 07:32

日本史一問一答(ランダム)

Q. 青森県つがる市にある縄文時代晩期の遺跡で、遮光器土偶や極めて精巧な漆塗りの土器が出土したことで有名なのはどこか?
Q. 明治政府が神道を国家の基幹の宗教とするため、それまで一体化していた神道と仏教を明確に切り離そうとした政策を何というか?
Q. 江戸時代中期から後期にかけて在位した、明正天皇の次の女性天皇にして最後の女性天皇は誰か。