八田與一 (はったよいち)
1886年〜1942年
【概説】
日本統治時代の台湾において、大規模水利事業である「嘉南大圳(かなんたいしゅう)」を計画・実行した日本の土木技術者。烏山頭(うさんとう)ダムなどの設計・監督を行い、不毛の荒野だった台湾南部を一大穀倉地帯へと変貌させた功績で知られる人物。
嘉南大圳と烏山頭ダムの建設
八田與一は石川県に生まれ、東京帝国大学を卒業後、台湾総督府の技手として渡台した。当時、台湾南部に広がる嘉南平原は、雨季の洪水と乾季の水不足、さらには塩害に悩まされる不毛の地であった。八田はこの地に大規模な灌漑設備を整備する計画を立案し、1920年から約10年の歳月をかけて、当時東洋一の規模を誇る膨大な貯水量を備えた烏山頭ダムを完成させた。あわせて1万6000キロメートルにおよぶ給排水路網(嘉南大圳)を巡らせ、約15万ヘクタールもの土地を潤すことに成功した。
技術的先見性と現代に続く日台の絆
八田は建設にあたり、コンクリートを極力使わず土や砂利を突き固める「セミ・ハイドロリック・フィル工法」という先進的な技術をアジアで初めて本格導入し、地震に強いダムを築いた。また、水資源を公平に配分するために「三年輪作法」を導入し、現地の貧しい農民たちを等しく潤す仕組みを整えた。こうした現地の人々に寄り添った姿勢から、八田は没後も台湾の人々から深く敬愛され続けており、烏山頭ダムのほとりにある彼の銅像前では、現在でも毎年5月8日の命日に追悼式が執り行われている。