赤報隊

戊辰戦争の際、「年貢半減」を触れ回りながら進軍したが、のちに新政府によって偽官軍の汚名を着せられて弾圧された部隊は何か?
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重要度
★★

【参考リンク】
赤報隊(Wikipedia)

赤報隊 (せきほうたい)

1868年

【概説】
戊辰戦争期に相楽総三らによって結成された、新政府軍の先鋒を務めた草莽(そうもう)の民兵組織。東山道を進軍しながら「年貢半減」を掲げて民衆の熱狂的な支持を集めたが、のちに新政府の政策転換によって「偽官軍」として弾圧・処刑された。維新変革期における民衆エネルギーの結集と、新政府によるその切り捨てを象徴する悲劇的な存在である。

草莽の結集と赤報隊の誕生

1868年(慶応4年)1月、鳥羽・伏見の戦いで戊辰戦争の火蓋が切って落とされると、京都の西陣において相楽総三をはじめとする草莽の志士たちが集い、赤報隊を結成した。草莽とは、仕官していない在野の志士や豪農、浪士、さらには農民などを指す。彼らは倒幕運動を影で支えた熱狂的な尊王攘夷論者たちであった。

赤報隊は新政府軍の東山道総督府の下で先鋒を命じられ、桑名、信濃、上野などへと進軍を開始した。彼らの任務は、徳川朝敵論を民衆に宣伝し、新政府への恭順を促すことであった。総督府の許可を得た相楽らは、旧幕府領の民衆を味方につけるための強力な切り札として、「当年御免(年貢半減)」の触れ出しを実施した。これは旧幕府の圧政に苦しむ農民たちから熱狂的な歓迎をもって受け入れられた。

「年貢半減」の撤回と新政府の財政事情

しかし、東山道を進軍する赤報隊の成功とは裏腹に、京都の新政府内では重大な問題が発生していた。戊辰戦争の長期化にともなう巨額の軍事費が必要となるなか、「年貢半減」という約束を実行することは、新政府の財政を破綻させる危険な政策へと一転したのである。

また、新政府の主導権が公家や薩長の上層部に移るにつれ、過激な変革や民衆の主体的な世直し運動を望む草莽の勢力は、新たな国家秩序を形成する上で「制御不能な危険分子」とみなされるようになった。さらに、新政府軍の主力である正規軍が順調に進軍を進めたことで、草莽の先鋒部隊としての赤報隊の軍事的利用価値も薄れていった。こうして新政府は、年貢半減の約束を撤回し、赤報隊の行動を「勝手な暴走」として処理する方針へと舵を切った。

「偽官軍」としての粛清とその歴史的意義

新政府は赤報隊に対して京都への帰還命令を下したが、相楽ら一番隊は「年貢半減」の約束を信じる民衆を裏切ることはできないとして、なおも進軍を続けた。これに対し新政府は、赤報隊を官軍の名を騙る「偽官軍」と断定し、追討令を発した。

1868年3月、信濃国の下諏訪宿において、相楽総三ら赤報隊の幹部は捕らえられ、申し開きを許されることなく斬首された。赤報隊が掲げた「年貢半減」の約束は完全に葬り去られ、彼らは新政府の都合によって都合よく利用され、最後は不名誉な汚名を着せられて切り捨てられた。この事件は、明治維新が単なる民衆解放の革命ではなく、薩長藩閥を中心とする中央集権的な国家権力を確立するための、冷徹な権力闘争の過程であったことを如実に示している。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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